はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

18歳の時に何を感じていたか

東京の西側は、日の差し方がやわらかいと思う。

リビングに行くと、遅くまで起きていたと思われる人たちのパーティーの跡をみることができた。散らかったコップ、甘い酒、ビールの空き缶、開けられたままのアルミ。黄色の壁には写真が飾られていた。この春に出て行った人たちの写真だ。この人たちの写真はどれだけ長く飾られているのだろうか、と思った。十年後も、二十年後もあるのだろうか。いや、そうは思えない。

リビングから向かって左の本棚には、ビジネス書籍や自己啓発本が置かれていた。たまに面白い小説などもあるので、そこをじっくり眺めることになる。しかし、大抵の興味深い小説とは書店で出会うことになった。若い人の本棚にビジネス本が大量に寄付されているのをみて思うことは、サラリーマンになるということは、こういう本を読み続けなければいけないということなのだろうか? と思った。

「つわものたちが、ゆめのあと」

と呟いて、リビングのパーティーの跡にまた視線を戻した後、三台ずつ並ぶ冷蔵庫を見遣った。

 

冷蔵庫のものがなくなる、とかそういうことが起きてから、私はその冷蔵庫を使わなくなっていた。相部屋のルームメイトも「私、ごはんはコンビニで済ませちゃうんだよね。忙しいし」と言っていた。

 

空気を吸いに外に出る。靴箱にも靴はあまり多くを入れられなかった。学校の下駄箱を少しおしゃれにしたかのような靴箱。それを見ないように埋め尽くされた玄関の半分の靴たち。

 

鍵を開けて、外に出ると、ああやっぱり、この街の空気は好きだなと思った。

 

十五歳から十六歳の頃にかけて、私は村上春樹の『ノルウェイの森』を何回も読んだ。他の村上春樹の作品も読んだ。でも私は東京の西の方にずっと住みたくて、英語ができるようになりたいと思っていた。そんなわけで村上春樹の通っていた大学は受けなくて、その代わり、『ノルウェイの森』に出ていた女の子が在籍していたと思われる女子大に進学することにした。就職実績もよく、評判のいい女子大で、実際にキャンパスに行ってみると、たくさんの植物が植わっていて、好きな場所だと思った。

 

結局そこにあった寮を、私は二年で出ることにした。ビジネスマンの出入りしている寮で、起業家だとか起業準備中だとか、脱サラを考えているとか、そういう人が出入りしていて、「大人の世界」を吹き込むところだったのだが、大人になって思うのはどう考えてもそんな人たちが出入りしている寮にいるのは健全ではないということだった。

 

でも私はそこにいる人のことを好きになろうとしていたし、実際出会った人の中には友達になれた人もいた。彼らがこの寮に対して抱いている気持ちはなんなのかよくわからないが、少なくとも彼らのような価値観の人たちに出会えたのはよかったと思った。

 

相部屋の一人はアメリカに引越して今はイエローストーンを観光中である。もう一人の相部屋の女の子は、二児の母となっていて、仕事をしながら夫と二人で生活している。どちらもポジティブでスマートな女性で、私は二人を心から尊敬している。

 

十八歳の時、私は世の人たちとは誰とでも友達になれるものだと思っていた。それは誤解で、誰とでも友達になるには「うまくやる」必要があり、その器用さは私には持ち合わせていなかったので、私はその寮生活を楽しかったとか、世界が広がったというようなことは言えない。

 

でもある日には、その当時友達だった男の子が大学の劇に出演するとかでチケットをもらって、その大学に見に行くことがあった。その劇はとても素晴らしかったから、私はその友人と出会えたことに感謝している。

 

冬にスキーをしにいくイベントや、夏に流しそうめんをするイベントなど、とにかく交流する機会は多かったはずだけれど、私はそういうものには参加しなかった。参加しなり寮生もいたのだが、北海道に来て、ちょっとスキーが滑れるようになると、スキーがすごく楽しく感じられたりして、やっぱりイベントに参加していたらそれはそれで違う未来があったのだろうかと思ってしまった。

 

学生の専攻は様々で、美大に在籍している人もいれば、農業を勉強している人もいた。後輩には美学を専攻した人もいるらしい。文学好きはあまりいなかったような気がしているが、みんなそこそこ本は読んでいた。

 

まあ、いろんな人生があっていい、ということは学べたのかもしれないけれど、とにかく私はものを書いたり、本を読んだり、そういうことを一生懸命できる環境がほしいと思っていた。