パートナーが休日昼、結婚式BGMについて話している途中、寝室に行って眠った。私も30分ほど一緒に眠ったが、起き始め、パートナーに「お酒一緒に飲む? ご飯を食べる?」と話しかけた。彼は「うん、うん」と言う。
張り切って、白茄子の揚げびたし、チーズ出汁卵焼きなどをつくる。この他に、にしんのお造りを食卓に並べ、牡蠣の燻製を取り出す。二人で買いに行った鳳凰美田という日本酒を取り出し、食べ比べ用のお醤油を取り出した。グラスを出し、お気に入りのおちょこを出し、冷蔵庫にあったところてんを並べつけたりして、ちょっと豪華な飲み屋に見えた。
そうしてにこにこし、起こしに行くが、パートナーは一向に起きずに眠っている。ずっと眠っている。
普段お仕事をして疲れているのだろう、久しぶりのゆったりした休日だから寝ていたいだろう、ということはわかる。
わかるのだが、ちょっとイライラしてしまう。
この時思い出したのは自分が中学生くらいの記憶だった。部活終わりで疲れている。眠ることしかできない。日中気を張っていたのかもしれない。とにかく泥のように眠りたい。
そんな中起こす人がいる。
「起きろ! おーきーろ!」と言って、背中を叩く人がいる。
起きたのが夜中になって、冷蔵庫にあるものを食べようとすると、「何してるの?」と止める人がいる。お腹が空いて、とか、ご飯食べたくて、などと言ったような気がする。
「は? あんた起こしてもご飯食べに来なかったじゃない。こんな時間にご飯食べないで」
などと言う。
翌日に、朝ごはんを食べようとすると、「あんたの分はないから」と言われる。他の家族は「そんなことを言わなくても……」と言ったりするのだが、「黙っていてください!」と一喝する声がある。「部屋にずっといなさい、戻っていなさい」と言われ、私は連れていかれる。ご飯を食べなかった。
◇◇◇
私が母親から受けていたそれは言葉を選ばずに言うと虐待である。
眠っている時に無理やり起こされる。叩かれる。暴言を吐かれる。なんで母親がそんなことをしたのかわからない。鏡には泣いている私が映る。その姿を見て、この泣いている自分を忘れてはいけない心に誓う。この生活から抜け出したいと思う。自由になりたいと思う。どうすれば自由になれるんだ、そうだ、勉強をするしかないと思う。勉強して、良い大学に行って、いろんな人に出会えば自分は自由を感じるのではないか。たっぷり眠って、ご飯もちゃんと食べる生活が送れるんじゃないか。孤独を感じているけれど、この孤独感からもいつか救われるんじゃないか。誰にも共有できないという孤独。友達が友達に思えないという孤独。誰かに抱きしめて欲しいという孤独。痛み。髪を引っ張られる痛み。叩かれる痛み。うるさい音。そんなものから遠ざかれる場所があるんじゃないか――。
パートナーを見て、母親の内側に起きていた憎しみ(そう、それは憎しみであった)を思い直した。それはただの繰り返しや痛みの巻き戻しとその理解をしようとする心の動きの仕組みにすぎない、とわかっていても、心の中の私は手をあげたいのを我慢していて、それでも我慢できずに、「ご飯できているよ」と声を何度もかけた。
この人は、眠っていても、叩き起こされたことってないんだ、お育ちがいいんだな、そう思ったら居ても立ってもいられなくなっていた。
できるだけ人と関わらない時間が私が尊いと思うのは、私自身、ずっと母親と関わっていたくなかったからなのだろう、と思った。
母親はたとえば私がこのように、母親に対して何か言ったり思ったりすることを、ただの「過剰な被害者意識」だと思っている。自分が暴力を働いていたことを忘れて、「過剰な被害者意識」のために自分はその紛争後処理を行っているのだと思っている。
そして私は人のことを信じたり、誰かに対してすごく特別に思ったり、逆に、普通に接するということをどうしたらいいのかが全くわからず、それが嫌で日中一人でいる生活を選んでいるのだった。
いら立つ母親の気持ちなんてわかりたくなかった。
今までずっとなんで母は眠りたいという私を叩いてまで起こして、さらに食事を取り上げるということをしたんだろうと思っていたが、母は許せなかったのだ。思い通りにならずに疲れて罪のないように眠っている私が許せなかったのだろう。
君が苦しかったのは、過去のことなんだよ。
とパートナーは言う。
でもさっきわかったことなのだが、私が睡眠薬を二錠飲んでも眠れなかったのは、一人で眠れないのは、安心感の問題なのだと思った。今少しずつ眠れるようになったのも、安心していい場所があるということがちょっとずつ自分に認識されてきたからなのだろう。
それでも母のことは好きだし、パートナーのことも好きだった。でも自分が傷ついてきたことを認識しないわけにはいかなかった。どこか遠くにやってしまうと、私はまた誰かを傷つけてしまうだろう。
母殺し(心理機能としての母殺し)ができてないのには、きっと何かまた別の理由があるのだろう。だけど眠れないのはそういうわけだったんだ、と思った。ずっと眠ることが怖かったんだ、と。
そういう状況の中で、結婚をしようとしているのは、すごいことなのかすごくないのか、すごくなりたいからなのか、わからなかった。