ジョン・アーヴィングの「ひとりの体で」[上]
ジョン・アーヴィングは大学生の時に『ホテル・ニューハンプシャー』を読んでいて、好きだなあと思っていた。アーヴィングの物語は読者に語りかけてくれるし、語ってくれる。だから目が離せないし、まるで映画を観ているかのようにくるくるとシーンが浮かび、浮かんではそのシーンがまた変わる、飽きずにずっと読んでいられる不思議な作家だ。
この『ひとりの体で』(上)は1960年代の性的マイノリティの生き方(生きにくさ)を扱った物語なのであるが、性というものが、誰にでも興味深く、また誰かを好きになるとことも止められないことであるから、そのことを物語で語ってくれることで、自分も似たような経験があると思ったり、逆にこれはアメリカ(あるいはヨーロッパ)でしかできないことなんじゃないかと思う文化も多くて、読んでいて新鮮である。
私は、性についての本は思春期の頃、ひらすらに村上春樹の『ノルウェイの森』を読むことで人を好きにになるということや、生と死を追体験したけれど、もっとこのジョン・アーヴィングが日本のティーンエイジャーに知られるといいのになあと思った。そうしたら救われる人ってもっともっといるんじゃないかと思う。
パートナーに読み終わった時の興奮を伝えたけれど、「自分はマジョリティであったから、マイノリティの話を読んでこなかった」と言った。でもやはり、私はこの小説を、マジョリティだとかマイノリティだとか、そんなことは関係なく読める普遍的な小説ではないかと思ってしまうのだ。
シェイクスピアに異性服装者が登場することは今や物語の装置としてみなされることもあるけれど、「自分がなんだか世間の規範とずれている。でもそのずれている方が生きやすく感じる」という時の呼吸のしやすさ、というのは魅力ある登場人物のハリーおじいちゃんからも伝わると思う。
だから上巻で物語が一つ収束していく感じ、勢いのある収束感はたまらなかった。
上巻最後の一文もとても好きだと思った。
子どもから大人になるということは、説明を自分でできるようになることなんだね、と思う。そのことを決意した十八歳の少年の今後がどのように語られるのか、(確かにウィーンに行ったりしたことは話されるけれど)、その後はどう語られるのかがとても気になる。
良い小説と巡り会えた。