中学3年生から高校1年生くらいまで、私はとにかく村上春樹を読んでいた。『ノルウェイの森』を十回くらい読み、『ねじまき鳥クロニクル』を読み、時たま『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』という対談集や、エッセイ『職業としての小説家』などを読んだ。
村上春樹に影響されて、パスタを茹でてみたり、(ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は流さなかったが)、シャツにアイロンをかけてみたり、プールに泳ぎに行ったりしてみた。
時々、東京の美術館に行って絵を眺めた。ある時は映画館に行ったり、DVDを借りてちょっと古めの映画を観た。
そんなことを思い出すのは、やはり、今の生活はこの「村上春樹をよく読んだ日々」と重なるからだった。
深い眠りに落ちて、目が覚めると朝食の準備をする。その日その日によって違うけれど、トマトを切り、パンを焼いて、牛乳をコップに注ぐ。パートナーを見送った後、ゆっくりお風呂につかって本を読む。洗濯をしている間、コーヒーを飲む。その後、眠くなってしまう時は眠り、起きている間はこうしてとりとめもないことを書いたりする。
用事があれば外出し、週に一度は大学の講義を聴講しに行く。
祖母が亡くなり、パートナーからプロポーズを受けて、しばらく結婚のことをやったり、動けないでいたりして、贅沢に時間を使ってしまった。本は読んでいたはずであるが、無節操な本の読み方であった。読んだのは、角田光代の書評集・『物語の海を泳いで』、上橋菜穂子さんの『隣のアボリジニ』、國分功一郎さんの『はじめてのスピノザ』、ティム・インゴルドのエッセイ『応答、しつづけよ』、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』、谷崎潤一郎の『細雪』(上巻)の6冊だった。他に途中まで読んでいるものは、アナ・ツィンの『マツタケ』である。ちょっと少ない……。
村上春樹をよく読んだ日々は同時に焦っていたような気もする。うつ病からの回復の時期で、高校の春休みとかだったような。
しかしその焦りは本を読んだり、物を書いていくことによって癒されていった。
北海道を出るかもしれない、という話が持ち上がって、どうにもならない宙ぶらりんな日々が続いたけれど、睡眠もよくとれていることだし、これからはスポーツをするみたいな読書をしていけたらいいと思う。
村上春樹をよく読んだ日々はいわば、回復の過程だったけれど、6月からは本と格闘していきたいと思った。
今日は読む本をリストアップして、手帳に目標を書く。