はじめてその曲を聴いたとき、私は夕暮れの間に草原を走る鹿の群れや、海で泳ぐクジラを想像した。
きらきらと光るガラスの木を見た後、携帯を失くしてホテルで絶望している時にその曲を聴いたのだった。
何度聴いてもわくわくする音楽なのだった。
希望を失わないでいようと思った。
私はコーヒーを飲んで紙の中に埋められることを書き、書店に行って何冊かの本を買った。
その中には「自然」と「人間」について書いてある本もあれば、「神話」と「数学」について書いてある本もあった。詩人の書くエッセイ集もあれば、自分のアイデンティティについて真っ向から深く取り上げた本もあった。
私はあたたかい部屋でタイプをしながら音楽を聴き、世界というものに思いを巡らせていた。
世界というのは美しいだけではなく、硝煙が立ち込める場所や、血や肉が切り裂かれるどこまでもグロテスクな景色もあるのだろう。淀んだ川もあれば、鏡のように清らかな湖もあるのだろう。
鳥の声を聴いてそれが言葉だと理解する人もいれば、日々書類や数字に追われている人もいるのだと思う。
ここはそのどこからも遠い場所にある。(と仮定する)。
生きるということは生成される日々の営みの積み重ねである。