はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

ナラティブアプローチ

澤野美智子 , 2018 ,『序・医療人類学における「理想」のナラティブと現実の間』Contact Zone 10 ,107-117

 

を読んだ。

 

先日パートナーと喧嘩をしており、パートナーから「あなたはには科学的思考がそなわっていないのだ」という話になった。

私の科学的思考が備わっていないのは、一重に、中学生の頃にうつ病になったことに起因していると思う。うつ病になって、私は自分で「なんで病気になったのか?」「なんで好きなことや得意なことすらできなくなったのか?」「私の人生は、この病気によって何を導こうとしているのか?」などを考えざるを得なくなった。

 

それは、語りを通して自分の病の経験について明らかにすることであり、科学的()な「うつ病」という診断を超えて、自分として病気の意味を編むという行為である。

 

生物学的・器質的な疾病(desease)を病い(illness)と捉えなおすことによって、ある”病気”に対しての捉え方をより患者の個別具体的な説明にみることがクラインマンの説明する「病の語り」であり、そのことがNarrative Based Medecineの考え方につながっていく。医学は物語的活動(narrative activity)として取り組むことが提案されつつあるのが昨今の医療人類学と医学との協調との取り組みである。(らしい)。*1

 

私が中学生だった頃は2010年代であるけれども、その頃、私は自分がうつ病になった時、本が読めなくなり、(勘違いされるのだが、本が読めないということは働いていて本が読めないということではなく、国語の文章題にのるような、ごく普通に受験生が解くような日本語の文章が文字からして読めないということである)、本と音楽を生きがいにしていた私としては自分の情熱を喪失したかのようだった。何かに奪われてしまった、という感覚にも近い。

 

睡眠をしっかりとり、無視してくるクラスメイトを無視するくらいの気持ちでいて、休日にはプールに一人で泳ぎに行き、シャツにアイロンをかけ、村上春樹を読むという生活を送ることで、私は徐々に癒されていった。

 

脱線するのだけれど、村上春樹を読んで精神的な失調から復調した、という人は結構多いらしい。そういうことを言っている本を読んで「わかる」と思ったし、実際に村上春樹を読んで治っていった、という人にも会ったことがある。

 

村上春樹と話をしていた臨床心理士河合隼雄は、物語の役割について述べているし、そこからなんとなく中高生なりに、物語には人を癒す力があるのだと思った。そしてそういうことは認知されてきているんだ、ということもわかった。

 

ナラティブ・アプローチをとるには、話す人と聞く人の両者が巻き込みを経て、その二人で物語をつくりあげていく、という経験が必要である。

 

であるなら、人と生きることというのは、このナラティブを常に生成していくことなのではないかと思う。

 

論文の後半では、医療者と患者の間について学会で見られた非対称性についても述べられていて、その権威性というものについてもう一度問い直してもらうために、医療者に読まれてほしい論文だと思った。

 

*1:このブログはブログ記事なので断定を避けることをご容赦いただきたい