はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

読んだ:『急に具合が悪くなる』

宮野真生子・磯野真穂(2019)『急に具合が悪くなる』晶文社

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磯野真穂さんは、私が住んでいたシェアハウスに出入りしていたことがあるらしいのだが、私がそのシェアハウスに入った時にはすでに別の活動をされていて、会うことはなかった。声を聞いたことがあるのは、今年の6月に学会でのコメントを求められた時だ。そのコメントに会場は湧いていて、コメントにも、そのコメントの仕方にも感動をしたのを覚えている。

 

往復書簡を読みながら、「でもこれ、2019年に書かれているんだよな」と思った。

 

磯野真穂さんの声を聞いたことはあっても、宮野真生子さんの声はこの往復書簡を通じてしか聞くことができないのであった。直接やりとりをしていた磯野さんは、宮野さんの声を受け止め、ラインとして紡いでいるのだ。二人の生き方にただひたすらに頭が下がるような思いだった。

 

エヴァンズ=プリチャードの引用や、九鬼周造の話を面白く読みながら、「偶然性ってなんだろう」「生きるとか死ぬとかはどういうことなんだろう」と思った。

 

先月、祖父が亡くなったのだけれど、祖父という同居していた家族という存在であっても、死ぬ間際にはいられなかったし、しかしその1週間前に会うことはできたから、人の生きるとか死ぬとかいうことに、その人に「呼ばれる」ということはあるのかもしれない。それは声として、「大事な人を呼んでください」ということかもしれないし、私と祖父のように、「死ぬ前に会うことができる」ということなのかもしれない。でもその「呼ばれる」ということはかけがえないのない、タイミング――偶然のような、必然のようなもの――なのではないかという気がした。

 

宮野真生子さんについて、もっと知りたいと思った。仕事を時間内に終わらせられるとか、そういうことも本当にすごいことだ、意志の力でやり切ったんだ、と思う。でも同時に恋ということも経験していて、どんな哲学をしてきたのだろう、この人は何を考えてどんな風に生きてきたのだろう、と本を通して知りたいと思った。

 

最後に、5回しか会ったことがなかった、と言っても、ここまでの深くその人の隣にいられることは、やっぱり、人間と人間同士のぶつかりあいというか、そういうことはやっぱり並大抵のお気楽感ではできないこと、強い意志に基づくことなのではないかと思った。自分が死にいくという状況で、言葉を交わす人がいるということ、そこまでのコミットを私はできるだろうか。できるような人間になりたい、と二人の書簡を読みながら思った。