大学院に行くのもいいな、と思えたのは2021年のことである。
ある読書会で、社会人で英文科の修士課程に進学した人と知り合って、それから社会人でも進学をする人というのが、そこそこいることを知った。
いろんな人から、合格について「おめでとう」「おめでとうはちみつちゃん」「おめでとう」とお祝いを言ってもらったために、お祝いムードは終わりつつある。
研究の話は企業秘密みたいなものなので、どういうことを研究するかは書かないが、読書記録は続けて行っていきたい。
大学院に行くことは、22歳頃からの夢であった。その夢がどのように叶ったのか、大事な選択はなんだったのかを考えてみることにした。
① 1社目を辞めた。(転職した)。
すごく面白い仕事を任されてもらったけど、1社目に勤めていたことを辞めることにした。自分のリソースは何か、何を叶えていきたいか、何を切り離さなければいけないと思ったかを大事にした気がする。
② 2社目に就職して異動になった後、転職をしなかった。
これはどちらも変わらなかったと思う。大学職員に応募していたのだが、自身がなかったし、大学という機関で働くと「夢を叶えている人が身近にいる」と思いそうで躊躇った。また、その時は良い人間関係に恵まれていたので、人間関係を中心に考えた結果転職をしなかった。しかし結果、チームメンバーの大事な二人が1年後に辞めたので、人間関係に配慮した仕事の続け方は良いことなのか? と思った。良いことであると思うけれど、人の意思まで把握できないなと思った。
③ また転職した。
転職して確かめたかったのは、「私は環境さえ整えば働けるのか?」ということだった。(ここで「働ける」と1社目のように確信していたら退職には至らなかったかもしれない)。1社目の上司に「仕事は人だぞ」と言われたことを胸に刻んでいるから、一緒に働いている人のことをよくみてみた。うーん、なんかちょっとぎすぎすしているな……?
④ 人のアドバイスを聞いて、研究室訪問をした。
入社した初日にパートナーの大学の先輩、という人とパートナーと私の3人で飲んで、「大学院、行きたいなと思っているんですよねぇ~」と話すと、「すぐに研究室に連絡を取った方がいい」と言われた。そのアドバイスを聞いて、仕事の感じを確かめてから研究室訪問をした。
⑤ パートナーありがとう。
パートナーに相談に乗ってもらっていた。不安な中、応援をしてもらい、時々する話――この学問とこの学問では何が違うのかとか、どうしてその学問をしたいのか、などと話したり、学会を聴きに行ってもらったり、沖縄での研究テーマ探し旅行を手伝ってもらったり、研究計画書を読んでもらったりした。最近ちょっと喧嘩気味なのだが、大学院という夢を手伝ってくれたのはパートナーだと思っている。ありがとう。
⑥ 両親の理解
退職してパートナーについていくことも、仕事を辞めて大学院に行くことも、理解をしてくれて応援をしてくれた。22歳の頃は「絶対就職すべし!!」だったのが、今になって「いいんじゃない?」となったのは不思議だけれど、(良い意味で諦めたということなのかもしれないが)、「頑張って」と励ましてくれて、感謝をしている。
修士課程に進学して研究をすること、長年の夢だった。
一つの目標はクリアできたから、次の目標を定めて、2年間をものすごくよくできるように――2倍も3倍も実のある研究期間になるように――頑張りたい。