はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

興味関心の変遷

自分がどういう興味関心を持ってきたのかな、などと思い、ベッドの中にうずくまり、また本を開き、検索をし……ということを繰り返していたのだが、こういう時はどういう本を読んできたか、どういうことを考えてきたかを整理するといいんじゃないかと思って書くことにした。

 

卒論を書いて就職をした私は、仕事が楽しくて家庭生活がめちゃめちゃ、という事態に発展した。この頃読んでいたのは『わたしは英国王に給仕した』というボフミル・フラバルの小説だったと思う。したっぱとして仕事をするというのがどういうことなのか、人生はどのように始まるのか、みたいなことを考えていた。

 

仕事は楽しかったが、私は「このままずっとここにいても結婚はできない……」と思い、引っ越しと転職をすることとした。そして転職したての時に入院を経験する。休職中、川端康成の『雪国』とヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』の読書会に参加して、批評理論というものを知った。文学批評がちょっと楽しいなと思ったので、廣野由美子の『小説読解入門』とか、『批評理論入門』とかを読んだ。フェミニズム批評とポストコロニアル批評が面白かったと記憶している。筒井康隆の『文学部唯野教授』を読んだり、『クリティカル・ワード 文学理論』を読んだりした。復職してちょっと元気が出た頃は、アニー・エルノ-を読んだり、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』を読んだり、カズオ・イシグロを読み直したりしていた。観劇などもするようになり、自分の中で、「批評が面白いな~」と思っていた時期だと思う。

 

何が面白かったかと言うと、女性が女性の生き方を書いているのが面白かった。「自分はこういう風に生きてきたんだよ」「こういうやりとりをして今、こんな決断をしているの」という声が聞こえてきそうであった。『風と共に去りぬ』とか、『高慢と偏見』とか。世界文学というのを意識していたから、移民と文学の関係などにも興味が出てきていた。ジュンパ・ラヒリとか。小説をとにかく読んできた時期だった。

 

お仕事はうまくいっていなかったのだが、そのお仕事のありかたにも違和感があった時期だった。企画する余地や、マーケティングをする余地があったけれど、そんなことはいらない、ただ普通のことを普通にやればいいんだ、などと言われた。今では私はそういう機械ではないし、結構現代社会に生きている多くの人が、効率化されて誰にも文句を言わせない、人間AIみたいなことをやっているのだ、ということがわかってきた。

 

私はこの、人間AIみたいな動きが変だな~、などと思っており、昔の人々から連綿と私たちに受け継がれてきたことは、コミュニティをつくるとか、一緒にご飯を食べるとか、そういうことだったのに、なんでこんなにロボットみたいなことを強いられてきたのだろう、と思った。この時、『クララとお日さま』を読んで、やっぱり過去から未来へとつながっていくのは愛と信仰だよな、と思った。

 

この「愛と信仰」は、現代に忘れられてきているものではないかと思う。誰かのために祈ったり、誰かを愛したりするということを拒絶して拒絶して、お金を稼いで一人生きていくこと、何かを消費していくことだけを考えているこの現代社会は変だな、と私は思っている。男とか女とかそういうことに押し込められて苦しいんです、ということはわからなくはないのだが、それは男とか女とかのそれぞれにあり、またお互い交換していくことの楽しさもまた奪っていっていませんか? と思う。ヒューマニティーを拒絶してどこまでも冷笑的に生きていくことや、そこで誰彼を比較していくことになんの意味があるのでしょう、と思うのだ。つまり、他人と一緒に生きていくことというのにどういう工夫が今まで必要だったか、なぜそれが今できていなくなってきているのか。

 

これが私の目下の関心である。

 

「イエ」制度の変化だ、経済格差だ、教育の問題だ、いややはり政治の問題だ、といろんな人がいろんなことを言いそう。

 

これを解決していくのに、どういうアプローチをしたらいいかな、などと思っており、こういうことが研究できそうな場所を目下探し中なのであります。