はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

読んだ:『生きる智慧はフィールドで学んだ 現代人類学入門』

カニシヤ出版の『生きる智慧はフィールドで学んだ 現代人類学入門』を読み終えた。第3部から読み始め、続いて第1部を読み、今日最後に読んだのが第2部である。

 

存在論的転回」とか「情動」とか「マルチスピーシーズ人類学」とか「ダナ・ハラウェイ」とかわからない言葉や人が多かったのだが、『LEXICON』という用語集を引きつつ、第2部を読んで、自分が人類学を選ぼうと思ったのはなんでだろう、とぼんやり思った。

 

第2部では「動物」をテーマに、トーテミズムやアニミズムについて書かれる。また、著者が人類学を専攻するに至った理由や、フィールドでの経験談・語りについて書かれている。

 

私はやはり婚姻、というものについて考えてしまった。

 

動物は人間の存在を知覚し、人間と同じ世界で生きている。種の交わりというものは他の種のものとは行われない。人間の世界では、内面としてどのような人か、ということだけでなく、顔がタイプか、とか、収入は、学歴は、家柄は……などと、結婚するのに気にする条件が多い。

 

でもその条件から離れてみて、私が「その人」と交わることはどういうことなのか、ということを考えてみる人はなかなかいないのかもしれない。

 

トーテミズムの話にあったように、カラスの族、オオカミの族、とあったように、その人をつくってきたも――食べてきたもの、感じてきたこと、祖先、気質――などがあって、その人をその人たらしてめている、ということがあるだろう。

 

動物はすべての自然の中に含まれる。木々や川、海、森の中にいる。私たちはその動物たちと交換を行っているに過ぎない。一方で、人間は人間の社会をつくり、思想をつくりあげ、その思想によって、貨幣と労働をつくった。その世界では細かに人間が裁断された。今の日本で自分が動物や自然とのかかわりを持って生きていると考えられる人はどのくらいいるのだろうか、と思う。スーパーでパック詰めされた肉を買い、どこか遠くから運ばれた野菜を食べて、オンライン上でのやりとりをすることで、私たちはかつて遠くにあった世界を自分の近くに引き込み、その引き込んだ力のひずみで喚いている。

 

その世界で唯一自分の世界をつくりあげ、自立し、循環させることができるのが婚姻である。

 

動物の話からずいぶんそれてしまった。

人類学は現在では、人間だけを見据えるだけでなく、自然や医療や、政治や経済をも含む、巨大な学問になっていったらしい。

 

自分がどの視座に立って、何を研究していくのか、どういう人を追いかけて、どんなことを考えて立証させていくのか――

この本を読んで、自分をどれだけ「解体」させていくのかも、人類学という学問が要求することの一つである、と思った。