河合隼雄の『カウンセリングの実際』を読んだ。
高校生の時にカウンセリングを受けていて、「センター試験の点数だったら臨床心理学科にも出せそうなんですけど」と、当時のカウンセラーさんに言うと、「『人の心はわからない』、これを心がけておくといい」というアドバイスと、「はちみつちゃんの興味にあったものを選ぶといいよ」と言われたので、当時の私はすごすごと国際関係学科に進学した。
今でも河合隼雄を読むのは、河合隼雄の臨床心理学の考え方の文学への応用などが、文学批評とはまた違ってとても面白いからで、それは夢分析とか、精神病患者(私にもあてはまる)の病状などの捉え方が理論と実践に基づいているからだなあ、などと思う。
たとえば、今、自分の自己肯定感の低さがあるのは当時の家庭環境のせいだから、とか、家族が厳しくて、とか、「自分の育った家庭環境に起因するから」という言説をよくみかけるけれど、では家庭環境がほんとうに直結する問題なのか、というと、そういうわけではない、と思っている。
河合隼雄の実証例では、不登校の中高生や、その家族が出てけれども、それすなわち普遍的に語れる家族の問題、というよりは、一人一人の子どもにそれぞれの家族史のようなものがあり、またそれを支える国や文化や時代の背景があっての悩みや葛藤であることがわかり、それだけの「物語」に耐えうる自我を持ち合わせているのか、とか、自我の統合の上で、それら物語をどう解釈し、対峙していくか、というのは紋切り型の薄い「家族説」では悩みや葛藤を深めることができないのではないか、と思っている。
しかし、臨床心理学とか精神分析学を知っていくためだけではなくて、河合隼雄という人の人柄に触れたくて、河合さんの本を読んでいる私もいる。
役所仕事で忙殺されて死んでしまったんだ、という噂を聞くけれども、この人がいろんな物事を引き受けすぎた、ということのようにも思われた。いろんな人の物語を知っていたし、恨みつらみを引き受けすぎたのだと思う。
私自身は、河合隼雄さんという人と知り合いになった人を羨ましく思うけれども、何か自分でも受け継げるものはないかと思って、本の中にその人の姿を探している。
それでもどうしようもない時や、解決ができない時は、やはり、精神科医を頼ったりはするのだけれども、日常で起きる事象や、自分の夢が何を表しているのか、といったことを知るのに、河合さんの講演の記録や本は勉強になるので、これからも読んでいきたいなと思う。
カウンセリングというものが、簡単にできるようなものだと思われてきたけれども、
人の話をきくというのは誰にでもできそうなことだけれども、
自我がどのようなものを求めているのか、どのように関われば、その人の心を照らすことができるのか、ということはもっと世の人に興味を持ってもらっていいことなのではないかと思う。
鷲田清一が、この本のあとがきで、河合さんのことを「ぬえのような知性を持った人」と言った。
別にカウンセラーになるわけではないけれど、すべてではないけれど、私は河合隼雄のあとを引き継ぎたいと思う。