はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

河内晩柑のジャムをつくりながら

洗濯ものをして、コインランドリーに乾かしに行き、その足で散歩に行った。道すがら洋菓子屋があったのでクッキーを買った。帰宅した後パートナーがアイスティーをつくってくれた。

 

その後少しばたばたと準備をして、空港まで見送りに行った。

 

そうしてパートナーが帰省した後、家で本でも読むかと思ったが、読むに読めないのだった。

 

パートナーが帰省した後、私は一人ウイスキーを飲んでみたり、家にある材料でお好み焼きをつくってみたり、友人に電話をしてみたりしたのだが、一人で家に数日いるということが、こんなにも難しいことになったのだとは思ってもみなかった。

 

もちろん、平日は家にいるのだから、その間は一人である。

一人だけでも、夕飯の買い出しや、家事は一通りするから、どんなに眠くても起きなければいけない。一人の生活なんて、贅沢でしょうと思う人もいるかもしれない。

 

だけど私はすることがなくてTwitterを眺めたり、あまりにもすることがなくてWikipedeiaを延々と眺めたり、やっと本を開いても寝てしまう、というあまりにも「ダメ」すぎる時間がなんだかもったいなかった。パートナーが私が愛媛に行っている間に、「自分はこんなに一人でいることに耐えられない人間になっていたのか」と嘆いていたが、私も同じようにびっくりした。

 

Wikipediaで小説家について調べる。そして項目を開いて、その人の人生などをざっと読み、読みたい小説はないだろうか、とあれこれ考えて、しばらくは『細雪』と『源氏物語』と『苦海浄土』が読めればいいや、などと考えている自分に絶句した。

 

『クラバート』を読み終えた後の興奮は冷めやらなかったが、その興奮のままに『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を開いて、飽きて、今度は『遠い部屋 遠い声』を開いて寝てしまった。

 

実家の祖父は祖母が亡くなってしまってから、めっきり弱弱しくなってしまったが、生活に張り合いがなくなるのだ。今からこんな調子ではだめだと思うのだが、けれども一人暮らしをしていた時の私は何が楽しみで生きていたんだろう、と思った。そのくらい人と一緒の生活に慣れてしまったのである。まだ一緒に生活し始めて半年も経っていないのに。

 

夢を見た。

 

夢の中で私は広いスーパーにいて、スーパーを妹に引き継いでほしい、と言うのだった。妹はやや困惑していたが、「私がここを引き継ぐ」と言った。肉や魚がびっしりあって、こぎれいなスーパーだった。妹が引き継ぐと言ったのは喜ばしいことのはずなのに、本来は私がここを引き継ぐべきなのだ、という思いが抜けなかった。

 

起きてから、地方に暮らす女性の、結婚にまつわる小説を書き始めた。書いていて、とても苦しくなってくる。

 

お湯を沸かしている間にコーヒーを淹れて、この間食べた河内晩柑の皮を煮た。

 

一人でいて堕落しきってしまった、このどろどろを忘れるためにブログを書き始めたのだが、一向にその気持ちは成仏してくれない。

 

夏目漱石は、「嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ」と『草枕』で言ったそうだけど、全くその通りである。