この本は、私に読まれるのを待っていた、という気がした。
ドイツ・チェコ・ポーランドにまたがる地域のヴント人(スラブ系)の伝説をもとに、ドイツの児童文学者が書き上げたというお話で、「すごいものを読んでしまった……」という気がする。
最後のシーンもものすごく感動するのだが、それは私の心にしまっておいて、「親方」という人物がどういう人物なのか、彼が後継者探しをする「悪」なのはなぜか……などを考えた。
作中で親方は神聖ローマ帝国とオスマン帝国のハンガリーの戦争で友人を殺めてしまったことを話す。また、親方は絶対的というわけでもなくて、「大親分」という存在との契約によって水車小屋の親分でいることができる。また、一人で寝に帰らなければならないかったりとちょっとコミカルな部分もある。さすらいの「デカ帽」には魔法比べで負けてしまう。ところが、皇帝に戦争の継続を進言するなど、「国家」の政治にも関わるが、農民の暮らしについて、懇願されても助力することはない。
友情をなくし、少年を職人として使用し、愛する人もおらず、自分自身もそれより強い力によって水車小屋にこき使われていて、自分の代わりに少年をいけにえにする――それが『クラバート』の「親方」なのである。
「親方」は父権的であるけれど、「愛」を失い、権力のもとで生きるしかない孤独な人物である。
読み終わって一通り考えたあと、やっぱりフェミニズムというものは別に「弱者のままでいられる」権利なわけではなくて、一つの支配体制に置かれて・その支配体制を変革させるために、その支配体制に置かれている人のことを祈り、愛するための「特別な」存在でいてよい、そのような力が自分には備わっている、と思うことなのではないかと思った。
これから、『クラバート』に関する論文も読んでみて、さらに作品への理解を深めたい。