はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

愛媛に行く 〈行き〉

四国にいる祖母が死んだという知らせが入ったのが月曜日の朝のことだった。

夜中に亡くなっていたらしい。

私はパートナーとともにコーヒーとクロワッサンとヨーグルトというなかなか贅沢な朝食を終えていて、七月上旬並みと言われていた爽やかな北海道の空気を吸い込み、風に揺れている麻のカーテンを眺めていた時だった。

航空チケットの手配をし、スケジュールを考えた。葬儀のことはまだなにも決まっていない、ということだったけれど、17日には終わるだろうと思っていたので、17の夜に飛行機に乗れるようなチケットを探した。

洗濯をしたり、洗い物をしたり、買い物をして一通りの家事を済ませて、てきとうな荷物を詰め込んで家を出た。

 

パートナーと夕食を外で食べて、駅まで見送ってもらった。

 

松山空港に着いたのは翌日の午前十時だった。飛行機の中ではレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を読んでいた。

空港は宮崎空港とかとちょっと似ていると思う。駅まで電車の乗り入れはなかったので、先に行っていた母に迎えに来てもらった。

瀬戸内の方はのんびりした空気が広がっていた。四月で、あたたかで、高いビルが全然なかった。

 

お土産を買う時間がきっとないだろうと思って、空港でパートナーに渡すお酒と今治タオルのハンカチを購入した。普段使いできそうなやつだ。

色とりどりのみかんゼリーの中から、はれひめを選んで飲んだ。

 

母と合流し、母の実家がある瀬戸内の方に向かう。

 

通夜が十六日、告別式が十七日で何も決まっていないのだ、ということだった。妹も東京から新幹線を使ってくるということだった。

 

葬儀の畳のある控室で寝かされたお祖母ちゃんは、ずっと小さくなっていた。愛媛に行くのはきっと大学を卒業する前振りくらいだったから、お祖母ちゃんは今の私のことをよく知らなかったはずである。母は2月に祖母に会ったと言っていた。

 

蒸し暑い控室では、祖父と葬儀屋と叔母が進まない話し合いを続けており、母が入って話の整理をつけていった。プランを決めたり、誰にお弁当を出すか決めたり、お花はどうするか、受付は、などと決めなくてはいけないことがたくさんあった。お葬式は地方によって違うので、「うちの地域では」「こちらでは」「いや私の地域では」などという雑談もまじって、とても長くなった。

 

一回だけ祖母の方を眺めたら、ほんとうに眠っているみたいで、一度だけ、わずかにまぶたをあけたような風にも見えた気がした。

「私の話をしよんの?」

というような。

 

この辺りでは茶菓子を買ってくる必要がある、などということになり、菓子屋を探して母と私で車に乗り込んだ。

 

このまちは海と山に囲まれているが、海側には煙を吐き出す工場がずっと立ち並ぶ。だから視界はなかなか開けない。母が子どもの頃どんなまちだったかは知らないが、母がここを出たいと思った気持ちが、離れるという強い気持ちを持っていたことが、二十七の私にはわかるようになっていた。

 

妹を駅で出迎え、私たちはホテルにチェックインする。

 

喪服に着替えて母の実家に寄り、母は祖母に化粧をするための化粧品を探した。

 

四月の瀬戸内に来たことはなかった。

初夏みたいな天気で、静かだった。

 

コーヒーを飲んで、必要なものを買い、ばたばたと例の和室へ向かう。

 

通夜が終わってからは、母は「飲むぞ」と言い、ビールを買い込んでホテルで飲んだ。

どうでもよいことを私たちはべらべらと話し、祖母の死には一切ふれなかった。