友人がメキシコから北海道に来てくれた。
この友人は大学にいる間にグアテマラとかシンガポールにぽいぽい行き、メキシコに1年インターンに行った後、メキシコ人と恋に落ちて、大学卒業後かの地に渡り、子どもを二人産み育てながら働いている。
4月に日本にバケーションで帰国すると言っていて、メキシコ人の旦那さんと、2歳と0歳の子どもを連れて日本に帰ってきた。彼女たちの子どもには会えなかったけれど、夫婦で北海道に来てくれた。
旦那さんとは気だるげにスペイン語を話し、電車の中ではとつとつと近況報告をした。
私はメキシコ人の旦那さんと会うのははじめてである。電話越しに話したりしたことはあったけど、顔を突き合わせるのははじめてで、しばらく話してみた後、「なんだこのラテンの男は……!」となった。
髪が長くてジャケットを羽織り、ラテンアメリカっぽいっかっこいいカウボーイみたいな帽子をかぶっている。スぺ語しか話さず、したがって春奈とは話すが私とはあんまり話してくれない。
もともと家に来てタコスをつくってくれるという話だったので、私のパートナーとも合流し、4人で買い物をした。
トマト、にんにく、玉ねぎ、ししとう、牛肉を買う。トルティーヤの粉とトウガラシはメキシコから持ってきており、家で料理をしてもらうこととなった。
パートナーはあとで、「ゲストに料理してもらうのはこれからはやめましょう」と言っていたが、(ひとえにそれは私たちの所在なさのせいにもよる)、確かに一抹の申し訳なさを感じつつも、タコスをつくってもらってよかったと思った。
家に来て料理をしてもらうことで、相手にテリトリーができたというのもあるし、メキシコ人はあれやこれやに友人に指示しつつ、粉をこねて、できあがったものを私たちが食べるとすごく素敵な笑顔をみせてくれた。これは掛け値なしに、嬉しそうな、満足そうな表情だった。最初はスぺ語しかしゃべらないラテンの無口な男、という風貌だったが、そんな人がとても幸せそうにしてくれたのでなんだかそれがとても心に残った。
そのうちにレモンはあるか、とかあるけれどこれはかなり前に買ったもので使えそうか、とかを聞いたりした。
タコスは牛肉とチーズとサルサソースをのせて食べた。「熱いうちに食べて」ということだったので、できたものから、私とパートナーが交互に食べた。最初に我が家に来てくれた客人たちをもてなすのではなく、もてなされたので面目がない。友人に「タコスをつくるのははじめてなの?」と訊くと、「粉からつくるのははじめて」と言った。
だから私とパートナーは「これは美味しい!!」と言いながらまくまくと食べ、友人夫妻が粉をふるってこねて焼いてタコスをつくり、家の会話はほとんど二人のスぺ語で満たされるというへんてこな交流になった。
何気ない会話で「メキシコからお土産を持ってくとしたら何がいい?」と訊かれ、
「本場のタコスを食べてみたいな」と答え、
「う~ん。トルティーヤはかぴかぴになっちゃうから粉を持っていくね」
「粉だけ持って来られても私たちはつくれないからつくって」
「いいよ」
などという会話がなされた結果なのであるが、タコスは美味しかったし、メキシコ人の旦那さんとも若干打ち解けたような気がするのであるが、今日また会う時に、どうすれば二人に喜んでもらえるかなあ、などと思うのであった。
二人をタクシーで帰した後、パートナーに友人のことがとても好きなのだ、と言った。
あの人の才能は日本では活かせなかっただろう、出て行くべくして出て行った人なのだ、電話もできるということはわかっている。だけど、またメキシコに帰っていくことがさびしい。とても寛大で、疲れていても私たちのためにタコスを焼いてくれ、確かに空港に着くなり「実は宿を決めていないのだ」などと言い出して面食らわせるところもあるけれど、そんなことはまあ予想していたし、しかしそれはともかくとしてまた遠いところに行ってしまうというのが寂しいと言った。
パートナーは「電話もできるよ、離れていても友達だから大丈夫だよ」と言ってくれた。
それにしても昨日のタコスの美味しさは一生忘れないだろう。
焼きたてつくりたてで、4個も5個も食べられた。素朴でほのかに甘い風味のとうもろこしの生地と、強気な辛さのサルサソースのかかった、牛肉とチーズのタコス。
なんでかわからないけど、あんな美味しいものは他では食べられない、という気になった。私たちのために友人夫妻がつくってくれたごはん。