はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

母と東京

二日目は支度をいそいそとして、美術館に向かった。美術が好きなのである。

一通り眺めて、お土産を購入し、コーヒーショップで母が到着するのを待った。今日は母が東京に来るということだった。

 

母が来るまでの間、コーヒーを飲みながらパートナーのお母様あてのポストカードにメッセージを書いていた。母は全然来ないので、私はノートによしなしごとを書きつけていた。

やっと母が来て、私たちはベトナム料理を食べた。蒸した春巻きや、鶏肉や、甘いご飯を食べた。二人でビールを飲んだ。母は国産のビールで、私はベトナムの瓶ビールだった。電話ではなかなか話せなかった、こういうことを考えているよ、とか、昨日はこんなことがあってね、パートナーはこういう人でね、ということを話した。あと半年で28歳になろうというのに、母親に嬉々として話をするのはなんだか気恥ずかしいのだが、珍しくお母さんが話を聞いてくれるので嬉しかった。

 

痛いところもつかれたけれども、「ふうん」という感じではあったけれども、私のことを否定することはなくて、まあ肯定もなかったけど、一応の説明ができてよかった。

ご飯を食べ終わった後、母は美術館に行き、私はその間コーヒーショップで本を読んだり物を書いたりしていた。

 

1時間くらい経った後、母に連絡し、私たちは再び合流をして湯島天満宮へ向かった。

 

桜はまだ咲いていなかったが、暖かくて、人が多くて、コロナで動物園が閉まっていたことなんて信じられなくなるくらい、にぎやかだった。

 

上京した時のことを思い出した。

高校の同級生と上野の桜を見に行ったのだ。夜のことだった。にぎやかで、妖しくて、自分のこれからにとてもわくわくしていた。

 

あるいはもっと昔のことを思い出した。

母がやはり私を連れて東京に連れて行ってくれたことだ。

そのことを言うと、母は、「お前を上野に連れて行ったことなんてあったっけ」と首をかしげた。

私たちの思い出はどちらか片方しか覚えていないことも増えてきたのである。

――この文章を打っている時――飛行機の座席に乗っていた――、今日の美しい春の陽光が降り注いでいる、上野の東京文化会館の前の銀杏の木を眺められるところを思い出して私はふいに涙を流した。母は今の私とそう変わらない年だった。年月が過ぎて、母も年をとって、それでも隣を歩いてくれていることに、私は幸せを感じ、切なさも感じた。私は二十何年かを超えて”その”瞬間が、今”この”瞬間であり、それは一瞬であるけれども私にとっては永遠の時間で、その永遠はしかし、もう訪れることのない時なのだった。

 

ゆく川の流れは絶えずして、もとの川にはあらず、というけれど、私と母に訪れたその時間も川の流れみたいにどこかへ行ってしまうのだった。

 

タイムマシンが未だかつて発明されていないのは、人の記憶というものがタイムマシンとしての役割をすでに果たしているからだろうと思った。いつでも戻ることができるけれども、私たちは常に未来に引き戻される。現在は過去と未来をつなぐ絶えざる瞬間の積み重ねなのである。

 

――これを書いている間、私がひっきりなしに涙を流しているものだから、CAさんがポケットティッシュを持ってきてくれた。私は恥ずかしくて顔を上げることができなかったのだが――だって私は自分でもなぜ泣いているのかがわからないし、「時間の流れというものをとても意識して泣いてしまいました」なんて、誰に言えるわけでもないのだった。

 

母との何気ない会話や、上野で見たその景色について、私は年甲斐もなく、わけもわからず、ただ私のタイムマシンによって”その”瞬間に行ったことで懐かしさを感じていた。

これからタイムマシンを発明する人は、私のこの体験をヒントにタイムマシンをつくってほしい。

 

上野から湯島天満宮へ行き、何駅か乗って、大きな駅でビールを飲み、ワインを飲んだ。

そうして私は空港へと向かい、母は帰っていった。

 

東京からちゃんと帰るか心配であったが、無事北海道の家に帰宅することができた。

家ではパートナーが待ってくれていて、彼は今日一日あったことなどを話し、彼には彼の冒険があったようだった。

 

母と東京で待ち合わせた日のこと。