退職して10日経った。
前の退職の時と同じく、よく眠り、ご飯を食べる、ということを中心にしていたと思う。そうじゃないと、退職したのはなんでだっけ? とか、もっとこういうことができていれば……といろんなもやもやに苛まれてしまうため。
今週はお寿司を食べに行ったり、コーヒーを飲んだり、マレーシア語を勉強したりと概ね楽しく? 過ごした。生理が近かったので、特によく眠る日が多かったのだが、入眠幻覚がまだあったりして、「眠るのがこわい」のだなということがわかった。「ねむるのがこわい」感覚、もっと細かにできたらいいと思うのだけれど、それがどういう意味を持つのかまだよくわからない。
本はぱらぱらと読んだ。パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育』とか、ティム・インゴルドの『応答、しつづけよ。』などを読んでいる。
しかしこの数日は特によく寝ていた。
寝ていると、祖母の遺言の「働け」という言葉が響いて、目が覚めた。稼ぐ手段は何か探さなければいけない、と焦りつつ、今日は大学院の授業があるので楽しみにしている。
洗濯ものをしたり、洗い物をしたり、料理をつくったり、買い物をしたり……、入浴して、ドラッグストアで洗剤や洗顔剤を買ったりして、お家に帰り……という日を過ごしていた。小説などを読んだり書いてもよさそうだったけど、ここ一週間はとにかく「休息」をしていたと思う。
もちろん、病院に行ったり、区役所に行ったり、銀行に行ったりということもしていた。
けれども日々の多くは眠ることで過ぎていき、こんな風に自分を振り返ったり、という時間はなかなかとれていなかった。
パートナーとゴールデンウィークの旅行の計画を立て、メキシコからバケーション帰国している友達と会う約束をし、春風に揺れるカーテンを眺めてコーヒーを飲む時間……とても愛おしい。
高校1年生の時、沈んでいる自分が認められなくてプールに泳ぎに行ったり、村上春樹の小説を読みまくったり、パスタを茹でたり、シャツにアイロンをかけたりということをしていたのだが、ちょっとずつ自由な時間が増えて、ゆとりを持てるようになり、テレビを見るのを楽しめたりもするようになった。
お仕事をしている時どうか、ということも一応書いておくと、お仕事をしていた時のことはもう忘れている。なんかしんどかったな、人とうまくやれなかったな、とかそういうことは記憶している。また、声をかけてくれた人に、「あなたらしい進路だよ」と言ってくれた人もあり、今思えばそういう人にも救われているんだろうという気がした。
羽田空港から新千歳空港に向かう時、泊ったホテルの近くから見えた、青空の中にそびえたつ白くてきれいなマンションを思い出す。ああいうところで、ゆったりした暮らしがしたいなぁと思っていた。
ゆったりした暮らしを10日も続けてみると、自分が次にやるべきこととか、どういう働き方をしなくちゃいけない、とか、そういう焦りというか、ワクワクする気持ちも出てきて、すごくいい状態だなと思った。
ひとまず、本を読んで感想を書こうと思う。