はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

読んだ:『先住民からみる現代世界 わたしたちの〈あたりまえ〉に挑む』

北海道にいる、ということで、お正月に『ゴールデンカムイ』をパートナーと大人買いして読んだ。アイヌの文化を垣間見たり、国家共同体をつくる上での思惑、を描いたりしてあってとても興味深かったのだけれども、北海道博物館にあった「アイヌ」の表象の仕方はまたちょっと違ったな? などと思い、石原真衣さんの『〈沈黙〉の自伝的民族誌』と同時並行で、文化人類学者や社会学者のアンソロジー?(論考?)として『先住民からみる現代世界』も読んでいたのだった。

 

ゴールデンカムイ』でも『先住民~』でも、主に土地と民族の問題を取り上げていて、「先住民というその土地にまず住んでいた人たちがいるのに、それを国家が吸収して権利を追いやってけしからん!」みたいな論調が多いな~と思っていた。マジョリティ対マイノリティの話に収斂するのではなく、「では一緒に生きていくためにはどういうことをしていけばいいのか?」ということが私の関心であったので、『先住民からみる現代世界』の先住民サイドのケースとして多く見られた「国連に訴え出る」というのは、国家以上のグローバルアクターとしての「国連」に解決を求める、という意味では正当ではあるけれど、「国連」という大きい組織での場での発言のみで、国連が「あなた方の主張はわかりました。政策提言を世界規模でしていきましょう」と言い、各国に伝えていくというやり方では、現実的に学校に通えない、とか文化と組織の中で取り残されている人たちがいる、みたいな問題は実践的には解決できないのではないか、と思ってしまった。位置づけとしては実践できない分を国際NGOなど第3セクターが担う、ということになるのだろうけど、それでは「多文化共生」は実現できていない気がして、やはりイスラーム教徒とキリスト教徒の共生を政治的に融和しようとしていた「オスマン帝国」に理想を抱いてしまうのだった。(まあ、オスマンにもいろんな課題などはあったのでしょうが、パクス・オトマニカがどんなものだったのかはちゃんと本を読んでもいいなと思いました)。

 

私自身が定住をしないがちな人間であることから、「土地と定住と民族に全て問題が向かってしまうのだろうか……」と思っていたら、第10章でカラハリの遊牧民の話が出てきて、「先住民は全て定住する者であり、土地を持とうとするものである」という偏見? が法廷的な見解としてでていることに、実際の生活文化と合致していなかったので余計に分断されてしまった、というお話があり、興味深かったです。移動する遊牧民にとっての地図化のプロジェクト、ということも建設的なプロジェクトに思えて、「土地」に関する感覚と考え方について、もう少し深めてみたいと思いました。(松村圭一郎さんの『所有と分配の人類学』を読んでみたいと思いました)。

 

石原真衣さんのオートエスノグラフィーが「アイヌなのか和人なのか、そのあいまいがあってもいいんじゃないか」というアイデンティティーのお話であるのに対して、このアンソロジー(論考集?)では、「民族が結びついている土地」というテーマが主だった気がします。

 

去年読んだ高野さやかさんという方の「法人類学」に関する論考:『「法の生成」の人類学に向けて』で、確か実際にコンフリクトが起きた時に、アクター間でどのように制度をつくっていくか、というお話があったのですが、その要素が加わっても面白かったのかな、と思いました。つまり、先住民(または少数民族)と行政の実際の制度のすり合わせの過程についても知りたいと思いました。たとえばマオリでは、先住民のプレゼンスがとても高いという話を聞いたことがあるのですが、(また、コラムで海でとれる海産物や、海をどれくらいの範囲で優先されるかという話が書かれていましたが)、何かの宣言だけでなく、実際的な行政の活動と先住民の権利がどのように協調しているかなどにも興味が湧きました。

 

あと書き方について、学術的な文章の書き方が私にはあまりしみこんでいないのですが、どのように書けばわかりやすくなるか、ということについてもいろんな人の文章があったので、どこまで細かいことを書くか、やどのように整理されていれば、理解が早くなるか(読み手に親切になるか)なども参考にしたいです。

 

個人的には木村真希子先生の文章が、とてもわかりやすかったです。ただ、どのように書いているからわかりやすいと思えたのか、という分析まではまだなので、もう一回読み直してみようと思います。

 

今日はパートナーにお使いをお願いしていて、いくつか気になる本を挙げて、買ってきてもらうように頼んでいるのですが、リストアップをしていく中で、意外と文化人類学の本で読んでみたい本が多いなということに気づきました。理論と実践的なフィールドワークの本(博論改稿含む)の両方をもっと読んでみて、物の見方の幅を広げてみたり、文化人類学的な考え方の視点のようなものを、感覚でいいので掴んでいきたいです。