小学生の頃に母が連れて行ってくれたのが同じ演目である。
子どもの頃は話の筋がわからなかったので、ミュージカルを観た後に子ども向けにアレンジされた物語を読んで、なんとなく「不思議な物語だな」と思った記憶がある。エドガー・アランポーの『モルグ街殺人事件』にも似てるしモーリス・ルブランの『アルセーヌ・ルパン』シリーズにも似ているけれど違う、というような。
劇団四季の『オペラ座の怪人』はガストン・ルルーの作品というよりは「アンドリュー・ロイド・ウェーバー版」という方がしっくりくる。
というのも、「サスペンス」とか「ラウルとクリスティーヌの物語」というよりは、「怪人の愛」に焦点が置かれていて、別の物語としていいほど解釈が異なってくるのだ。
ガストン・ルルー版(とはいえ私が読んだのは児童文学だが)では怪人というよりもラウルに共感してしまったし、怪人は若き二人の愛を阻むという悪役であり、クリスティーヌが怪人にキスをしたのも憐みゆえではないかと思っていたのだが、ロイド・ウェイバー版を観たら、「それは小学生のお子様の見方だったのではないか」と思わずにはいられない。
というのも、ロイド・ウェイバー版の『オペラ座の怪人』では、主人公が怪人に思えるような演出がなされているからだ。
一幕の感想ですら怪人に共感してしまって、クリスティーヌは二面性のある、どちらかといえば浮気性な女性と言う風にみてとれてしまった。
(あるいは、彼女は父親の後ろ盾を失って以来、結婚相手という身分の安定さを保てる相手としてラウルに心を傾けたのだろうか。)
どちらにせよ、ラウルとの愛というものは若さや外見以外にどこに惹かれているのかが非常にわかりにくかった。一緒に観劇した恋人は、一幕を見た感じだと怪人の方が一方的で執着気質だと言っていたが、ラウルもわりと一方的なアプローチをしていると思う。それくらいクリスティーヌの気持ちというのはわからない。ラウルや怪人と一緒に愛について歌ってはいるけれど、彼女自身が恋焦がれて、とか愛を受け入れる気持ちにあるという風にはどうしても見えなかった。その点、彼女は意外と現実主義者なのかもしれない。
私は最初から怪人に魅了されており、(それは清水大星さんの歌唱力と演技が格別に素晴らしいものだったということも理由の一つにある)、嫉妬心も見えつつ、クリスティーヌをよく理解しているのは私だと言わんばかりの男性の傲慢さがむしろ異性としては頼もしく見えてとてもよかった。
クリスティーヌも怪人に心惹かれていたのは間違いなく、というか興味本位で怪人に地下に連れられて行ったりしたのであれば罪な女である、という感じがした。
結婚するならラウルだけど、恋愛ができるのは怪人、というか。
怪人はその恋愛ゆえに永遠の愛を誓いたい、という気持ちになっているのは見て取れたから、やっぱりクリスティーヌは現実主義者で、オペラ座の地下に隠れて二人隠遁生活をするというのは望まなかったのではという気もする。
何度も言うけれど、冷静に見れば、クリスティーヌやラウルの愛の行方、という風に見えてしまうかもしれないけれども、劇場に行って主役となるくらい、恋というものに激しく焦がれ、愛に憧れているのは怪人なのである。
その切ない愛情にどうしても心を動かされてしまうし、それを目的に大阪まで観に行ったと言っても過言ではない。
また最後に付け加えておくと、日本のミュージカルというのは結構難しい取り組みだなと思った。音の語感や音楽のリズムを原作のそれに合わせようとすると入り込むのに時間がかかる。(怪人はその点クリアしていたと思うけれど)。
最近海外ミュージカル・演劇を観てたり、洋画を観たりしていたせいかもしれないけれど、音楽について、言葉のリズムというのはとても大事なんだなと思った。
日本のオペラなどを見て参考にするとよいのかもしれない。
非常に良い体験でした!