「君には人の気持ちっていうものがないんか」
という(趣旨の)ことを夫から言われて、自分には人の気持ちがわからないのかなぁ、と思ったりしたのだけれど、ネットで調べたらASDのほかにアレキシサイミア(失感情症)というのが出てきて、アレキシサイミアなのではないかと思った。
夫とのやりとりの中で、よく、「こういうことがあったら嫌だと思わない?」と言われるようなことがあるのだが、それに対して嫌だとか怒りたいということは特に思うことがなく、「(よくわからないけど)この人はこういうことが嫌だと訴えているんだな」と思うなどしている。
自己嫌悪に陥ったりすることはあるけれど、他人の振る舞いを見て「嫌だ」と思うことはあんまりなくて、つねに、私が悪いんだと思うことになる。それについて、他人に同情してほしいとか、共感してほしいとかは思わない。人間は結局のところ孤独で、私は理解されない人間だと諦めている節がある。
しかし一方で、音楽を聴いている時や、料理の支度をしている時にふと、「夫は、理解してほしいと言っているだけでなく、『あなたのことを理解できるし、理解したいと思っている』とも伝えているのではないか」と思った。
夫はよく、「この感動を一緒に味わいたい」というようなことを見せてくる。幼少期から一人で部屋に閉じこもるしかなく、テレビアニメを見て言葉を覚えた私にとっては、少々意外に思えることだ。
〇
「はちみつさんは、公園デビューとか、大丈夫?」
と訊かれる。
そもそも公園デビューということをしたことがないな、と思った。人と遊ぶようになったのは、妹ができてからだし、妹ができたころに幼稚園に行ったので、遊ぶようになったのは幼稚園に行くようになってからである。そして幼稚園ではもっぱら本を読んでいた。同年代の子どもと一緒に遊ぶという経験をあまりしていないのである。
それに遊ぶということがどういうことかもよくわかっていない。
とはいえ、今、こういう風に、28歳にしてやっと「遊ぶって何?」みたいなことに直面していることが、私の中でやっとそういうフェーズに入ったんだという気もする。*1
〇
中学生の頃に、学級委員をしていた時、サッカー部の、すごく人気者だった同じく学級委員をしていた男の子が、私に、「お前はなんでも一人で抱え込みすぎだ」と言った。彼はこう続けた。
「もっと、人を、頼れ」
それに対して一瞬あっけにとられた私はこう返答した。
「だって、私がやらないと誰がやるの?」
彼はそれには返す言葉がなく、ややうなだれていたような気がする。
〇
自分は引き受けすぎるのだ、と思う。誰かの「嫌だ」とか、誰かの「うっとうしい」という気持ちを引き受けすぎる。だから、「ごめんなさい。私が悪かったね」と言いつつ、面倒なので相手の「嫌だ」について返答をするつもりがない。そうか、嫌なんだね、私が悪かったね、あはは。
と言って、自分が感情のゴミ箱になるのを引き受けてしまう。誰に共感してもらおうとか、誰にわかってもらおうとかはしない。私はどんどん閉じていく。共有できてうれしいという気持ちを持ったことがないから、どんどん一人になっていく。周りも一人にさせる。
そういう態度のせいか、「あなたは人を見下している」などとついには言われる。別に見下してなどいない。どういう距離感で人といたらいいかわからなくて一人になっているだけだ。
「自分が唯一正しいと思っている」などと言われる。だとしたら私はこんなに自己嫌悪になったりもしないでいいはずなのになと思う。それに唯一正しいと思っているということがあるならば、私は一人で泣いたり眠れない夜を過ごさなくてもいいはずじゃないかと思う。
「ほんとに、お前はぶきっちょだな」
とは、新卒で入った会社の上司に言われた。
不器用だ、というのは、きっとほんとうにその通りなんだろう。
不器用なりに一生懸命やっているということをわかってくれる人がそんなにたくさんいるわけでもないので、今日も私は不器用なりに世界とやっていく。
*1:そういう意味では、(2ヶ月ほど行けていないけれど)、刺繍をはじめたことは、自分の中で「遊ぶ」ことにつながっているのかもしれない。