話としては知りつつ、ずっと読んでいなかった芥川龍之介の『藪の中』を読んだ。
旅行中で手元に本がなかったのと、暇つぶしとしてパートナーと一緒に読むことにしたので青空文庫で読んだのである。
リンクを貼っておくので未読の方はどうぞ。
読み終わって、誰が本当のことを言っていて、誰がうそのことを言っているのかわからない、微妙に証言の違うところをまずは整理しようと思ってパートナーと一緒に話した。
パートナー氏の仮説はこうである。
パートナー氏の仮説
凶器は小刀。多襄丸は清水寺に来る女、真砂のことをかばっていて嘘をついている。決闘はしていないが、凌辱はあった。夫は自殺を試みていたが致命傷ではなかった。致命傷となったのは、真砂が小刀を抜いたことによる。
はちみつの感想
パートナー氏の仮説について、「ふむふむありそう~」とある程度納得した。しかし納得の言っていないのは、どれも検非違使からの応答に対しての独白ばかりで、検非違使自身が何を尋ねたのか、どのようなことを話したのは何も書かれていない点である。芥川の作品で、『河童』ですら感じたことはなかったけれど、この『藪の中』はだいぶ気持ち悪い作品だなと思った。予定調和的に「真実は藪の中ってことですね」という感想にはちょっと違和感を持っていて、他の人はどういうことを言っているのか、気持ち悪さを鎮めるために検索したら、
隠したかったから死ぬことにしたのだ
という一文を読んでなるほどと思った。「深夜のネオン・ドクター」さんという方で、この人の読み方は結構面白くて気持ち悪さはいくぶんやわらいだ。
私は木こりが抜いた小刀が致命傷というのはあるような気もしたし、パートナーの言っていた女が抜いていた説もあるような気がした。
だんだん誰が致命傷を与えたかについてはどうでもよくなっていき、「そうまでして芥川がこの小説を書く段階で隠したかったことはなんだろう?」と思った。死ぬまでに隠したいと思ってしまう秘密のこと。
それは太宰のような恥というものではなくて、きっと美しすぎて近づくのが恐いような感情だったのではないかと思った。藪の中にも、女性の顔を見た時に菩薩のようだと思ったという箇所があるけれど、そんな風に美しいものに触れて、なんとしてもそれを手に入れたいと思ってしまった自分、とか、そういうものを隠したかったのではなかろうかと読後に思った。壊れてしまわないように大切にしまっていたもの。
そんな風に考えていたら、100年前に生きていた芥川龍之介にやはり会ってみたいような気もし、同時に芥川龍之介のような人物は存外自分の身近にいるような気にもなるのであった。