高校受験前にうつになった時、私は何もかもがわからないような気がした。回復をするしかないと思っていた。ひとまず大学というところに行かねばならぬと思ったので、自分の存在する場所のために勉強をした、ということが過去にある。
大学に行ってみたら、今度は就職のために頑張ろうと思った。どこかでプレゼンをしたり、地方創生のワークショップに出かけたり、本を読んだり、旅行をしたり、アルバイトをしたり、映画をみたり、就職のためになるようなことは頑張ってきたはずである。
いろんな人からいろんなことを言われた。ある人は私のことを「ポテンシャルがある」とか「能力が高い」とか言う。ある人は「この子は苦労すると思った」と言う。その人は「仕事は文化だ」と言った。ある時は「仕事は人だ」とも言った。家人は「あなたは事務に向いていない。興味のあることとないこととの差が激しい」とも言った。好奇心と素直さだけが(たぶん)とりえなのだろう、と私自身は私のことを思う。誰かの言ったことに影響を受けたり、人の些細な言動をみてすごく傷ついたり、そういうことが私にもあるはずなのだが、周囲の人にとっては穏やかに見えるらしい。
大学時代の友人の何人かは「小説を書いているといいよ」と言う。家人は、「もっと工夫の余地があるんじゃなかろうか」と言う。だから私は生活をしながら本を読み、ブログを書くというのにとどまっている。
できるだけ人と関わりたくない、と思う。人と関わりたくないのに、人のことが知りたいから、小説を読んで人のことがわかった気になったり、聞き語りや民族誌を読んで、人の暮らしというものがわかった気になっている。
この、人、(あるいは仕事)に対する怯えのようなものをどうしたらよいのだろうか。