はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

観た:『大学は出たけれど』

ふいに小津安二郎の映画を観たくなったので、U-NEXTを探した。はじめて観た小津映画は『東京物語』だが、そちらは見当たらなかった。『大学は出たけれど』は就職活動の話だと知っていたけれど、自分の働いていた時の記憶や、学生時代の感覚とのミスマッチについて思うところあったので、観てみることにした。

 

小津安二郎、『大学は出たけれど』(1929)

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サイレント映画というもの、はじめて観たけれど、没頭してしまった。しばらく俳優や女優が動いて、その後真っ黒な背景に白い文字で台詞や、簡単なト書きが入る。最初、演者の動きがあまりにもはやいので、早送りをしているのかと思ったが、そういうつくりなのらしかった。

 

就職活動をしている男性は、鉄道会社の面接に行き、薄ら笑いを浮かべた社員に「あるにはあるのだが――受付の仕事がある」と言われる。それに対して、「僕は大学を出ました」と言って、そのような仕事はしない、と仕事を断る。

 

そのうちに就職が決まったという嘘をつき、故郷から母親と婚約者? らしき人が出てくる。母親は郷里に帰ってしまうが、婚約者? らしき女性は「このままではお金が尽きてしまう」と言って、バーでの仕事を始める。そうして偶然そのバーに行くことになった主人公は、「あんなところで働くな!」と女性に言い、冒頭の鉄道会社に再び面接をしてもらいに行く。

 

というお話。

 

大学(しかも自分で言うのもアレですが良い感じの大学)を出て受付の仕事をしていた私としては、いやまあ一生懸命お仕事はしていたけれど、頭を空っぽにして働かなくてはいけないことが多かったので、主人公の気持ちはとてもよくわかった。つい最近、出産で仕事を辞めた友人も「あの大学を出てね、狭い世界で生きているとね、私が大学で身につけたものはなんだったんだろうって思っちゃう」と言っており、結論としては新卒の就職活動をちゃんとすればよかったんだろうか? みたいな話になる。

生きるためには働かなければいけない、というの、ほんとそうなんだけどな、と思いはするんだけど、それにしてはブルシットジョブが多すぎというか、結局のところ、生きていく時には自分がどういう人間でありたいか、とか何が好きか、とか、どういう人たちと関わっていきたいか、ということに尽きていくんだなと思った。

 

同時並行で『ザリガニの鳴くところ』という映画および小説も併せて読み進めており、生きるために生きること、その世界も悪くはないし学びも多いものだ、ということはわからなくはないのだが、申し訳ないけどなんかついていけないんです、と思う。

 

最近、Xをフォローしている人で、民間就職が大変で試験を受け続けて、外国に研究員として移住することが決まった人がいるのだけど、その人もいかに民間就職が向いていなかったか、なぜこうも知性というものが全く重視されない社会で生きていかねばいけないのか、ということを嘆いていた。自分にも知性があるとは言わないけれど、てきとーに就職してしまうと、変に学歴で嫉妬されてしまうことはあると実感した。『メンタル強めの美女白川さん』の読了記事でも書いたけど、微妙な人間関係の機微の中で、やっていいこととやってはいけないこととってやっぱりあるし、本人に毒と取らないように慎重に言葉選びをすることがあたりまえの世界と、あたりまえではない世界が社会にはあると思った。

 

『大学は出たけれど』の主人公が就職するところはよさそうなところだ。妙な理不尽があったとして、それが本人のことを傷つけたりするようなところではないということはわかるからまあ、そういう世界があったのだな、古き良き時代だな、と思う。

 

大学を出た=就職の世界は別、というのは一応前提だとしても、能力主義に偏重したあげく、人間の人情や倫理観が失われている社会とはどうなのだ、とも思う。