はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

読んだ:『はじめての人類学』

最近、新書の中では講談社現代新書も好きになってきた。

奥野克巳さんの本は手に取るのにいつも躊躇ってしまっていたのだが、人類学の流れを押さえておきたいなぁ、とか、今の人類学はどういうところに落ち着こうとしているのか、などを知りたくて本書を読んだ。

 

取り上げられているのは、マリノフスキレヴィ=ストロース、ボアズ、インゴルドの四名。途中で時代背景や、個人の背景なども挟みながら、著作の引用などもして、人類学の流れの中でどのようなテーマを立ち上げてきたか、を紹介していく。

 

私が「人類学をやりたいなぁ」と思ったのは、たぶん構造主義の影響が大きくあって、レヴィ=ストロースに系譜のある山口昌男や、山口昌男を引用してそれを個人の心の動き・精神分析などに使った河合隼雄の著作を読んでから、橋爪大三郎の『はじめての構造主義』にふれてから人類学というものに興味を持った。まあ、あとは私自身が人と関わることの難しさ、みたいなものをよく体験していて、それゆえにどこか一つの社会のモデルを見据えて調査をすることで、社会や文化について通じたい、――人間に通じていきたいという想いもあったのだと思う。

 

なので、マリノフスキの発見については「ありそう」、レヴィ=ストロースの章については、「よくわかる。好き。」、ボアズの文化の考え方については「まあわかる」、フィールド調査についての対し方についても「わかる」、インゴルドの「ともにある人類学」については「パウロフレイレだ!!」となった。

 

構造主義は昔のものになってしまったらしく、それについては残念に思うのだけど、とはいえその魅力は十分にあると思ってしまった。

(たとえば宮崎駿の『君たちはどう生きるか』は構造主義がわかっているととっても見やすいと思う)。

また、婚姻制度の「交換」の概念については、もう一度考察していきたい。やはり「交換」と言ってしまうと、昨今は評判がよろしくないと思うけれども、人の生きるというあかしを残してきた制度は「婚姻」だったと思うから、「婚姻」という文化を仕組みとして捉えるならば、なぜ現代世界ではその仕組みが失われて来たのかを考える必要があると思った。

 

昨晩、入浴中とパートナーの「朝食の準備」中に、谷崎潤一郎の『細雪』を読んでいたのだけれど――あれはまさに、「婚姻」の話である――、人間が興味を持ってきた「婚姻」について、考察していきたいところ。

 

インゴルドについては、『人類学とは何か』を読んだりしていたので、「自然」と「人間」を超えたところにある人類学、というアプローチについてはすんなり腑に落ちたのと、エッセイなども読んでいて、「人々ともにあろうとする知恵」、自分からの動きと周りの人と、環境などすべてを含んだSPIDERとしての考え方などが、なんとなくじわじわとしみこんできた。文化相対主義や、これまでの人類学が共犯関係にあった、コロニアリズムの克服についても、「ともにつくりあげていく」ことを打ち出した点で、世界の知のトレンドは、単なる「平和」に留まらない、かなりスケールの大きい、それでいて糸を吐き出す蜘蛛のようにミクロではあるかもしれないけど相互影響をしあう・創造的なかかわりあいを体験していき、観察していくのであろうと思った。

 

この本を読んで、「フィールド」に飛び込むことが怖くなくなったばかりか、少し勇気づけられた。