はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

読んだ:『ジェンダー史 10講』

ジェンダーセクシュアリティフェミニズムへの関心が最近はとても強くあり、やはり、社会に出たりパートナーができたりして、自分の位置づけみたいなものが学生の頃より、よりはっきりしたからだとは思う。

 

歴史上の人物で女性を主人公にした伝記がもっとあればいいのにな、と思うのだが、もしそういう課題があったとして、最初に調べようと思うのは、トルコの女性作家:ハリデ・エディプ・アドゥバルだろう、という気がした。

 

ジェンダー史10講』では、市民女性がどのように福祉・労働など国家に組み込まれてきたかに関して述べる。特に面白かったのは第2講の『第二派フェミニズムと新しい女性史』のナタリー・ゼーモン・デーヴィスの『マルタンゲールの帰還』の話である。1982年に書かれた著作らしい。最近亡くなったので、軽く調べた時に『マルタンゲールの帰還』は読んでみたいなあと思ったのだが、女性が主体的に選択・行動をしたという話は、確かオスマン帝国史家の秋葉淳先生の、東京ジャーミィで行われた発表の中で、オスマン帝国時代の法廷帳を読む中で、法的な権利を勝ち取ったかなり賢くて勇敢な女性がいた例を発表されていたので(具体的な事象は忘れてしまったが……)、市民女性が意思がないとか弱者であるとかいうのは、個別具体的な例をとらえきれていないのではないか、と思った。

 

最近、パートナーに言われたのだが「あなたは過度に一般化し、ラベルを貼り、そのラベルの中で苦しんでいる」という風に言われて、気をつけなければならないな~などと思った。

 

というのも、この『ジェンダー史10講』で語られているのもやはり、女性史という歴史は女性が誰かをケアする役割を担ってきた、という話であったし、近代家族観というのも愛情と結びつき、それがひいては国家と結びつく単位となった、という主張であんまり面白くなかった。

 

女性が男性の鏡という役割を担っているという歴史はあったのだろうけれども、女性を発見するのであれば、鏡という役割についてそれが劣っているとか、「家庭的」であった、とかに終始すべきでないと思っている。

 

また、私の興味のある地域の女性観についてはあまり語られていなかったので、別の本を読んでみようと思った。