はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

我らの砂漠―『違国日記』を読んで

Instagramで憧れの、30代くらいの女性が『違国日記』を推しており、私も1巻を読んでい「面白いな」と思って最終巻の11巻まで読みとおした。

 

結果、終わり方に疑問を持っている。

 

主人公・朝は割と素直でコミュニケーション能力も高く、するっと相手のふところに入ることのできる女の子である。しかし高校生という思春期真っ只中にいるので、何に誰を言われて傷つくとか、逆に自分がどんな時に人を傷つけるとかがわかっていない。

 

一方、彼女を引き取った槇生(朝の叔母)は、自分を強く持ち、自分の世界をつくりあげることで生活している、少女小説家である。

 

二人は一緒に暮らし始め、朝は母や父について思う中で高校という期間を生き、槇生は思春期の高校生に戸惑いながらも朝や彼女の母親や自分の呪縛について考える――

というのがおおよそのあらすじと言ったところだろうか。

 

朝は言語化をするのが苦手で、また考えを自分でまとめたりするのが苦手である。直感で生きているけれど、時折自分が砂漠にいるようだと考える。彼女にとっての砂漠とはつまり彼女の世界―孤独なのであるけれど、槇生みたいにその世界に引きこもったりはしないし、いろんな大人に見守られながらすくすくと育っているように見える。

 

けれど、私はこの物語の終わり方がずるいなーと思ってしまった。

 

というのも、結局朝の「なりたい自分とはなんだったのか?」「彼女の母や父のことに、彼女は答えを出せたのか?」ということが描かれておらず、叔母である槇生が高校の卒業を祝福し、十何年か後のシーンがポツリと描かれて終わる。

朝がほんとうは何を考えていたのか、とか、朝は答えを出せたのか、とかそういうシーンが少なく、また、(私の好きなキャラである)笠町くんもいい人で、いい人のまま、ただし槇生の不安とかを受け止められる存在ではなさそう……、とか思ってしまい、

「ゆるくて居心地のいい関係性は確かに居心地はいいのだろうけれども、誰かと深く付き合うことで苦しんだり、悩んだりということをもっと描いても面白かったのに」という消化不足な感じを読後に持ってしまった。

 

叔母と姪が暮らしていく中で死を受け止め、共に生きていくというコンセプトには心ひかれるものがあるのだけれど、それだけに、そのような人たちを描くのはとても大変だし難しい仕事だったのだと思った。

 

これは「家族」という関係から逃げていく話なのではないかと思ったほどだった。

 

一方で、何者にもなれない自分について、朝は後半でうまくバランスをとれずにおり、モラトリアムの話でもあると思った。

 

何者かにならなくてはならない、なんてことはない。

好きなことや得意なことを伸ばしていけばいいし、他人の生き方がよく見えても、結局は自分の持ち駒で勝負しなくてはいけないのである。

勝負が嫌なのであれば勝負しなくていい世界で生きればいいと思うのだけれど、

そんな生ぬるい環境にずっと浸っていては自分がダメになってしまう、と思う。

 

最後に好きなキャラクターの話をしよう。

 

好きなのは、圧倒的に槇生さんである。彼女の頭がとっちらかってしまうこととか、書くこととかがもう呼吸をするようなことであることとか、それでも受け入れてくれる人のありがたさがあるところとか、しかし自分の孤独は自分で守るところとか、「大人の女性~」などと思った。この物語を通して、「うまく大人になるのは難しい」ということは学んだのだけれど、それでも、一匹狼みたいな生き方で、支えてくれる人に囲まれて、この人はしあわせだな~と思った。

 

余談だが、私も高校生の頃につけていたブログで、自分の環境や孤独を「砂漠」だと表現したことがある。

何年か前に読み返して、「こんな感性を持っていたんだなあ」とびっくりするけれど、

感性だけの世界に留まらない、エンタメとしても面白いものを書きたいなとこの頃思っている。

 

物語に書かれていた人たちは今までどんな人と出会い、何を想って生きてきたんだろう。それは過去の郷愁のみにとどまるものであったのだろうか。

 

少なくとも私はもっと世界は開かれていると信じたいし、いくらでも新しい自分に変わっていきたいと思った。