はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

フィールドワークという体験

26歳の現在においては、文化人類学社会学の領分であるフィールドワーク/質的調査よりも、人文科学の文学における批評理論・歴史学の一次資料の読み込みと論理的に記述する能力の方に興味・関心があり、フィールドワークはあくまでもコミュニケーション・全体的な概要を掴むための異文化体験であると考えている。

ただし、今はオートエスノグラフィーやアニー・エルノ-に見られるような自伝的記述・イヴァン・ジャブロンカに見られるような文学と一次資料の融合・スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチや石牟礼道子に見られるような聞き語りの文学とそこにある真実の描写が着目されている時代であると言える。

自身を突き放して観察し、絶えず自己省察することで生まれる描写に意味のある時代となっているのだ。

そんな中フィールドワークは、自国文化の優位性をどのように克服するのかが課題となっているのではないか。

◇◇◇

フィールドワーク必須のコースに行く前、私は記者になりたいと思っていて、人の話をインタビューすることがとても好きだった。また、地方創生にも興味を持っていて、開発の話と地方創生に共通する課題があるらしい、ということにも興味を持っていた。さらに、キルギスの誘拐婚と日本の結婚観についての比較をしたいと考えていて、結婚という自明の文化を調査してみたいとも思っていた。

知らない文化に関わって、そこでの当たり前を経験するということは、私の生き方にある方針を示したと思う。

たとえば、人は誰からでも学ぶことができるということ、自分の理解している文化はあるバイアスによってかかっているものであり、そのバイアスを解くためには、そのコミュニティの言語や歴史、口承文芸などに耳を澄ますことが必要だということだ。

特に、病院や会社、公務など組織が大きくなるにつれて、特有の文化があり、優劣関係などがあることがわかった。

私の前職の上司は、「仕事は文化だ」と言ったそうだが、結局、誰が何を言った、とか、このことにどういう意味があるのか? といったそこでの流儀のようなものを知ることで自分がコミュニティに属した時に生きやすくなることを知った。

しかし私は、メンバーの一員でありながら、一員ではない、自分は異人であるというスタンスを変えたくないと思っている。よりよい方法を見出したり、自分にしか発見できないことがあるはずだと思って物事に取り組むために、私は観察者という立場でいたいと思っているのである。

フィールドワークという体験をすることによって、私はあるコミュニティでの課題をどのように発見し、またそれはどのような理論にあてはめることができるのか、理論がなければそれはどのような仕組みによって成り立っているものなのか、そのメリットとデメリットは何かなどということを知る糸口をつかむ手段を知った。

しかし、依然として学問の海は広く、ある文化を知るためにそれを体験するだけでなく、それを再構築するにはどうしたらよいか? とか、データとして現れる傾向と対策は何か? など好奇心は尽きない。

知的な人たちと会話をするのは楽しいが、私はまだまだ自分が稚拙でままならない人間であると感じることが多くあって、その人たちの話をもっと聞けるようになるために、あらゆることを吸収していきたい。