「桜の下には死体が埋まっているっ、って言ったやつのせいで最近は桜の下の土を掘ろうとするガキが多くて俺のような死体は困る」
と死体の桜は言った。桜は生前の記憶はおぼろげにしか残っていない、と漏らすが、自分は実の女房に殺されたと思う、とぼんやりした目で話した。
こんな風に月の出ている夜にしか、私たちは話さない。この死体は自分の名前がなんだったかも忘れてしまったと言う。それは私も同じだった。
私は柳の下に時たま出て、人を時たま驚かせてしまう幽霊だった。桜のことはとやかく言えず、私も自分の名前がなんだったか覚えていない。そんなわけで、私は死体を「桜」と呼び、桜は私を「柳」と呼ぶのだった。
二人が一年で一番楽しみなのは中秋の名月――秋の満月をみることである。
これが終わるとそろそろ冬の支度が始まる。かといって、私たちは季節などを感じることはできない。ああそろそろ葉っぱが落ちたな、とか、生きている奴は厚着をしているなという感じである。
桜は夏の方が人をみていて楽しいらしい。
一方の私は冬の方が好きである。最も、化けて出やすいのはやはり夏なのであるが、近頃は化けて出るのも力がいるというか、昔より一層透けてきたという気がする。
「誰かを驚かせたいなあ」
と桜は言った。
「いつかちゃんとここからいなくなる日が来るのかなあ」
とも言った。
私は黙って聞いているだけである。
遠くで烏が鳴いた。日が落ちるのももうすぐだ。
いそいそと前を役人風の男が歩いた。人が歩いているのを見るのは久しぶりだったが、あちらは私たちには気づかない風である。
「最近生きている人間は大変そうだな」
と桜が言う。
「そうだと思う」
と私も言う。
「昔はよかった、と俺は思っちゃうんだよな。なんかあんな風にせかせかしている人間を見ると」
と言って桜は骨だらけの腕を後ろで組んだ。
「いやーでも生きるってほら、大変なことだから」
と私も返す。
目の前の水辺には浮草があった。また烏がどこかで鳴いた。
「いやなんかね、最近生きてた頃のことをちょっとずつ思い出してさ」
と桜ははじめる。
「奥さんがいたんだよね?」
と一応訊いてみる。
「いやー、いたんだけどさ、なんかある時から女房に明らかにウザがられていたな、って時があって」
「何したん」
「いやー、なんでだかは全然わかんないけど、傷つけちゃうことがあったんだと思うわ」
と桜は言ってため息をついた。
「え、で、死ぬとこは思い出したの」
興味本位で聞くと、桜はそうそう、と言った。
「女房がわんわん泣いてて、それでザシュってさ、小刀で一思いに刺されちゃった」
泣きながら小刀で一思いに刺されるって相当錯乱していたんだろうなと思う。錯乱した女と桜。
「私もなんか絵にされてしまったらしくてさ……」
と話すが、桜は呆れたような顔をしている。
「あれでしょ? 女だと思われたんでしょ?」
と桜は言う。知っているのだ。
時たま私たちのようなものを、生きている人間が目にすることがあるのだが、絵を描いたりする時には「描くね」と言ってほしいものだと思う。生前はもっと知的でクールな男だったのだ。
「でも生きている人間ってほんといろいろなこと考えるよねー。お前らはちゃんと目の前の現実を生きろっての」
と桜は言う。
私たちは死体と幽霊なので大抵の場合、暇をしている。こんな風に、ぽつりぽつりと話しながら、たまに生きた人間に思いを馳せている。
「もしまたちゃんと生き返ったらさー、何を最初に食べたいと思う?」
と桜が訊いてきたので、
私は、
「寿司」
と答えてやった。