ポプテピピックというアニメ、あんまり詳しくないが、CAさんが「Beaf or Chicken?」と言いながらカートを引いてやってきて、ポプ子の前で同様に尋ね、ポプ子が怒り狂い、ピピ美がその場を制して「Beaf!」と言った後、ポプ子が「命拾いしたな」とCAさんに言う場面がある。
そんなことを思い出していただきながら、
何年か前に参加したリレーブログの一文を読んでみたい。
実は、この間、「愛」を持って接していたつもりが、
どうやら相手にはそれが「恋」だとみえていたらしく、
大切だった友人を傷つけてしまいました。
これを読んだ後、衝撃を感じ、未来から勝手にレターを送りたいという気持ちになった。
一生懸命、それは「恋というものは相手が思い通りになることに期待するものなのです」とか、考えてみたのだが、勘のいい読者ならわかるでしょう、私は突き詰めてみればこれは Beaf or Chicken問題なんだなと思った。
CAさん(書き手さん)は、それがごくあたりまえの行為なので、Beaf or Chickenと聞いていただけなのである。ポプ子(相手さん)はそれが料理のことを訊いてると思わずにお前はBeafなのか、(Not Chickenか)と解釈し、怒る。ここで誰かがピピ美のようにポプ子の解釈とCAさんの慣習の両方を考えた御領仁がいれば、事態は丸く収まる。しかし、書き手さんと相手さんの間にはピピ美はいなかったので、書き手さんが傷つくことになったのではないか、と推察する。*1
真剣に恋と愛について考えていただいていたのに、「それは慣習と解釈の問題です」というお答えになってしまって、ちょっと申し訳ない気がする。
でも恋愛って自分のコンテクストと相手のコンテクストがわからないものだよね……。自分と相手は意志疎通が取れている、共感ができる、わかりあえる、完璧だ、という幻想が生まれがちだから……。
だから恋愛が成就する状態、というのはつまり、「コンテクストをお互いでつくりあげる」ということなのではないかと思った。
少し前の記事で、人と人が生活していくのに必要なこと、というのにカモカのおっちゃんは「突っぱりをなくすこと」と言っていた。
どちらかがこれはこうあるべきなんだ! と思っていると、確かにコンテクストをつくりあげていくということはできない。
書き手さんは相手を傷つけたことに真剣に悩んでおられるようだけれども、自分の習慣というものについて、自分がよいと思っていたことについて「それは誤解を生む」とか言われたら、それは悩んでしまうよな、と思った。
さらに「相手さん」がずるいなーと思ってしまうのは、相手さんは自分はどっちかと言えばChickenなのだと言えないところにある。相手さんは相手さんの文脈で自分はChickenなのだと言ったら書き手さんの反応もまた違ったものになったのでなかろうか。
この状況では書き手さんは「傷つけてしまった」と言うけれども、書き手さんが「傷つく」のも当然である。相手さんが突っぱっておられるので。
もしかしたら相手さんは「傷つく」という経験を二人で共有することとしたかったのかもしれない。ちょっとめんどくさいですね。
まあ、こんな風に何年も前のブログについて書いてみたところで、この書き手さんの問題が解決するわけでもないのだが、あまりにも美しい文章だったので脱帽して、返信をしてみたくなった、というわけです。
私の方では、慣習と解釈の違いについて、もっと説明できるように修練していきたいと思いました。