日曜日にパートナーと映画を観に行った。
話題作の『オッペンハイマー』である。
ロスアラモスでの科学者の熱狂については、高校生の時に『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波書店)を読んでいたので、原爆開発は当時のアメリカとしては科学者が夢中になって取り組んでいたのは知っていた。なので前半パートについてはどちらかというと、オッペンハイマーと女性に注目して観ていた感じ。
オッペンハイマー(主人公)はものすごく透明な感じの人だな、と思っている。
パートナーによれば「自分の信念に沿って行動した人」ということで、概ねそうなんだろうなとは思うのだけれど、「何を考えているのかちょっとよくわからない人」という感じがした。
女の子にずっと花を贈り続けたあたりとか、きっと彼なりのこだわりがあったのだろうと思う。一度贈った花を喜んでもらった記憶があるとか、たとえば。
でもなんというか、ストローズという対比があるからこそ、彼は善人のように見えるけれども、親しみが持てるかというとそういうわけではない。
リーダーシップや人を巻き込む力はあったんだろうなあ、とは思う。
でも私は別の科学者のある台詞の方がずっと心に残っている。
「科学の歴史300年の集大成が爆弾をつくることなのか? 爆弾は善人も悪人も殺す」という言葉である。
科学―政治―軍事の三つが一体化したことで原爆はできてしまった。
シークエンスになって3つの時間軸をばらばらに交差させることでサスペンスにもなり、法廷もののようにもなり、また、原爆に対するアメリカのスタンスや、赤狩りの時代の恐怖が描かれていたことで、他のアメリカ映画では知ることができない、アメリカの一面を知ることができたのはよかったと思う。
極論を言って、この映画の真価というのはやはりアメリカの社会や歴史や文化風土を理解していないとわかることができない映画なのではないかと思った。
ちなみに付け加えると、だから原爆はどうだ、とか原爆を描く映画はどうだ、とかいう話には直結しないと思う。
あくまでオッペンハイマーという人がどんな背景を持って生きてきたかについて知ることのできる映画である。
最初、私が「透明な人」という風に書いたのは、まああまり科学者という人たちと接点がないからかもしれなかった。