はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

読んだ:「リッツァの夢見た青空」(『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』より)

山口昌男を読んでいたら昼食の時間になったので、ツナ・サンドを食べてホットコーヒーを飲みながら『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万里)に手を伸ばして読んでいた。

 

プラハの学校に通っていた筆者がその学校の思い出を語りながら、三十年後、友人だったギリシア人のリッツァを探すというエッセイ。

 

この他に表題作含む二編があったのだが、昼食の時間に読めたのはこの話だけだった。

 

今は洗濯物を乾燥機にかけながら、感想を書いている。

 

東欧/中欧について思いを馳せたのは高校生の時、ウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』を観て以来である。

移民のゼロ・ムスタファのコンシェルジュとしての人生と、オーナーの話がとても興味深かったのと、設定を思想的・国家的な分断があった時代にしていたことで、ハンガリーチェコスロヴァキアの歴史について考えた。

また、2019年にチェコの作家ボフミル・フラバルの『わたしは英国王に給仕した』を読んだこともあって、東欧や中欧など共産主義圏の国やそこに住んでいる人たちのことを想っていた。

 

閑話休題

 

リッツァはギリシア人で、子どもの頃彼女はどんな人だったか、とか、性的な知識はこの子から教わり……という話から始まり、大人になって人づてにリッツァの生存を確かめ、会いに行くという語りで、卒業生名簿を見たり、親戚のだれそれから電話番号をもらったりしてリッツァ(ソティリア)と本当に会えたのは感動であった。けれども、彼女や彼女の親戚の人生については、移民としてあるいは思想の運動家としては難しい局面にあることがわかって、「人間は時代にこうも振り回されるものなのか」と思わずにはいられなかった。

 

ギリシアにルーツを持っていても、医者になり、結婚して人生を送っている彼女はタフで強い女性だなと思った。

結局のところ――人生というものから問われるのは、あなたは誰? というクエスチョンのような気がした。

私はアイデンティティ論には興味を持っているけれど、自分がどの国籍で、どのような性別で、何を持ち、何を持たないのかということについては、人生の要衝要所で悩むこともあるけれど、長く大きい目で見れば、それ以上でもそれ以下でもないというような気がしてきた。

 

しかし、リッツァのかなしみというものをエッセイから感じないわけにはいかず、ほんとうに、時代を取り巻く思想や国際関係やアイデンティティによって、それは常に揺らいでいってしまうんだな……と途方もなく思った。

 

文章や展開はかなり激しく、エネルギーのあるものだった。

最近これくらいのテンションで書いている人なんてあまりお目にかかれない気がする……。

共産圏つながりだからか、そういえばロンブ・カトーの『わたしの外国語学習法』を読んだ時のテンションに似ている……と思った。