はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

卒論振り返り

卒業論文について振り返る。

私のいたゼミではひたすら自分の興味関心を掘り下げ、それにディシプリンをつけていくという手法をとっていたから、これはあくまで私の卒論体験記である。

普通はディシプリンが先にあって、それから内容を深めていくものである。かといって入学時点で専攻やディシプリンを決めるのはとても難しいのではないかと思っていた。

1年ゼミではレポートの書き方についての授業で、わからないままに書いて提出した。

アマルティア・センを読んだのが印象深かった。

2年ゼミでは「オスマン帝国の中のキリスト教徒融和政策」みたいなことをやり、英語の論文を読むのに苦労した。この時に、「キリスト教的西欧的価値観」みたいなものに疑問を持つようになり、私たちがグローバル化と言っていることはなんなのか、英語を話せればグローバルになるのか、グローバルというならばローカルについて注目しなければならないのではないか、みたいなことを考えていた気がする。

3年ゼミではのんきになんとなく宗教のことをやりたいな、などと思い、クロアチアとトルコの旅行に行った。旧ユーゴ圏に興味を持った。

この時はまだ就活を意識していたので、インターンにも何個か参加した。

4年ゼミでまだキリスト教のコミュニティにするかイスラーム教徒のコミュニティにするか決めていなかったので、2年ゼミの先生に話しかけ、「西欧的キリスト教的価値観」とは違うことをしたいと思い、イスラームのコミュニティについてフィールドワークをすることを決めた。

卒業論文は、何日かそのコミュニティに滞在するだけで書き上げてしまう人も多かったが、私は半年くらい通い、コミュニティ内部にどのような階層や問題があるのかを知りたいと思った。日本の先行研究では、イスラーム教徒のコミュニティというと、社会学的な問題に収束されがちなことを知り、(移民研究であって宗教人類学ではなく、またアイデンティティや若者の問題、経済的活動の問題になることが多かった。卒論では岡真理の研究について触れるべきだったと後悔している……。)

フィールドワークについて振り返ると、まず自分の問題設定が、どういうバックグラウンドから来ているのかを知る必要があると思った。

私の場合は、小学生の頃から在日ブラジル人が多い地域に暮らしていたこともあり、異なる文化についてどのような折り合いをつけていくか、ということであったり、私自身が変わっているといわれることが多かったことから、集団の中の個人の役割または集団と個人の関係性について考えたいと思っていた。

そういう意味では国際経営論などの授業をとってよかったと思う。

しかし、私が感動したのは2年ゼミで読んだ論文の著者・Sia Anagnostopoulouの論文だったので、社会学的な課題にはいまいちぴんと来ていなかった。

とはいえ、フィールドワーク必須のコースにいたので、調査法の授業はとらなければならなかった。そこで社会調査法という授業で質的調査と量的調査についての授業をとった。

実家に帰って読み返している「フィールドワーク」という本では、質的調査と量的調査の長所・短所をそれぞれ書いており、また何をもって根拠とするかみたいな話にも触れられているので、興味深く読めた。

結局卒論は半構造化インタビューと参与観察を行って書いたが、私がどれだけのことにアプローチできたかというと、全然アプローチはできなかったな、という感想しか持てない。「フィールドワーク」をする時は常に自分が観察者であること、自分がある文化を異文化として認め、そこに文化の優位性のようなものができてしまうこと、そもそも文化を「書く」ようなことが、第三者にできるのか? と言った問題があるので、文化人類学的なアプローチにはお金と時間と言語という制約があると思った。

 

なので、私が卒論までにやった方が良かったことは、「自分の問題意識をはっきりさせておくこと」、「どのようなアプローチが最適か見定めること」、「先行研究ないし古典にできるだけ触れておいた方がよいこと」の三つに収束される。