はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

精神科医に褒められた話

精神科に通院している。

中学生の頃にうつになって心療内科に通い、ODをして通院をやめ、高校生の頃になってカウンセリングをはじめて、また受験期に精神科に行って軽い薬を飲んだ。

大学生の頃もカウンセリングを使い、通院をした。

社会人になっても通い、一時期やめて、やめた後すぐ入院することになった。

私を診ている精神科医はおそらく5人以上になると思われ、はじめて心療内科にかかった時(うつを発症した時)から11年が経った。今も薬を飲み続けている。

 

うつ病を受験が本格化する中学二年生の冬から中学三年生の春にかけて発症したので、

私は中学二年生から理科と数学の知識がない。

中学二年の時の担任の先生は、「旧帝に受かるくらいの学力がある」と言ってくれたことがあり、「旧帝って何」って感じだったのだが、ちょうどその頃国連職員として働いている、なおかつ理系と文系の研究をしたことのある人のインタビューを読んだこともあり、私は「教養のある人間になってそれを国際社会に還元したい」と思っていた。

 

ところがうつになり、理科と数学はおろか、大好きだった本も読めなくなり、大好きだったピアノも情熱を持てなくなり、ピアノはやめることになり、私はどこかにいる理解者にむかって、「私はここにいるんです、抱きしめてください」と祈っていた。

 

理科と数学が中学二年生でとまったまま、高校に行き、「MARCH以上じゃなかったら学費は出さないから」と言われて、なんとか私大文系の大学に行かねばならぬと必死だった。

高校1年生の時にクラス中から無視されて、一人も友達がいない状況で、本と音楽だけを頼りにして学校に通った。(年に数回さぼった)。

クラス替えが2年の時にあって、私大文系で「MARCH以上」を目指す子たちと同じクラスになり、私には何人かの友達(だと思っている)ができた。

 

前職の上司は面接をした時に、「この子は苦労をする、と思った」と言っていたが、以上の話をつらつらと高校1年生の時、カウンセラーさんに述べ、「高校受験の時には薬を飲んでベッドから這い出て塾に行った」と話すと、「苦労しているね」と言われた。

 

大学に行かなければ私のような人間は間違いなく生きていけなくなるのは目に見えていたし、「学費を出してくれないとどうなるの」「家から追い出す」という会話が母との間になされていたので勉強はした。

 

大学二年の時にやはり息苦しさを感じ、ゼミしか通えない状態になった。

恋愛に時間を割いていたし、何よりも人が怖くなった。

自分一人ではとても生きていけない気がした。

でもわからないなりに英語で論文を読むゼミが楽しくて、私は確かに大学で救われていたのだと思う。

大学、および大学の先生に本当に感謝しかない。学費を出してくれた親にも感謝している。辛い時にそばにいてくれた友人にも感謝している。

 

インターンシップに参加したり(短いものだったが)、自己分析をしたり、自分のやりたいことは何かとか、得意不得意を考えたり、人と会って話をしたりして、私はやっぱり自分が社会人には向いていないような気になった。

挑戦的な生き方をしている友達が多くいたので、私もそうなりたかったけど、結局は一番保守的な選択肢をとることにした。

(わからない。この選択肢をある友人に話した時、「あなたは新しい女性だね」と笑って言ってくれたのだが。)

 

そんなこんなでぬるっと社会人になり、転職をして入院をして、復職をしてぬるっと働き異動になり、いろんな人にいろんなご指摘をいただいている中、なんとか今日も病院に行って、先生に、

 

「自立して生活しているね」

 

と褒められた。

 

確かに……!

 

これは11年前には考えられなかったことで、

今も出社はびくびくしながら行っているのだが、

洗濯したりご飯つくったりしてる……!

 

そして精神薬を飲みながらもっとガリガリ働いている人たちとも知り合った。

 

その人たちに比べたら、私なんていつまでも怒られててすみませんという気持ちになるけれども、同時に、自分はいつまでも一人じゃないんだ、という気にもなれたし、

2021年にヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』を読んで勇気づけられて、

やっぱり書くことはやめないでおこう、という気持ちにもなった。

 

それでも精神科医

「自立している。えらい」

 

と言われたのは、やはり進歩である。

 

今も中途覚醒で起きちゃって、眠れるハーブティーを飲みながらこの記事を書いているのだけど、きっと今日も眠れるだろう。

 

何はともあれ、今の状態は、良い感じである。