行きたいところがあったのだが、どうにもこうにも調子が整わない。行けば見聞が広がるということは百も承知なのだけれど、どうにも調子が良くない時は無理をしないのが私のモットーなので、おとなしく「おうち入院」として、音楽を聴いたり、コーヒーを淹れたりしていた。
ここのところ、夫が家にいる時間が少ないので、私たちはいまいちコミュニケーションがとれていない。夫は結婚式の準備に私が時間を割いていないことにひどくご立腹のようなのだが、「なんでだろう」と考えていると、おそらく私の方に心配事が多いのだった。
夫は何を考えているんだろう? と思うのだけど、私自身も、どういうことを考えているのだろう? と思った。
そうした時に、私自身は夫のどういうところが好きなんだろう? とか、夫は他の人と何が違うんだろう? とか、私は夫と結婚したことをどう思っているんだろう? と思った。
夫がどういう人か私の中でわかっていないから、結婚式の準備が進まないのではあるまいか――と、思ったのである。というか、私自身が夫に対してあんまり自己開示をしていない気がする。拒絶、というかリジェクトしている気がする。アクセプトできていない気がする。
そういう態度は何なんだろう、と思ったら、私は夫にあまり好かれようとしていないんじゃないかと思った。夫は私に好かれたいと思っていろいろ頑張ってくれているけれど、私は夫に好かれたいとは思っていない――というか、若干、好かれるのをこわがっている気がする、など思った。
夫のことは好きである。尊敬もしている。だけど私が夫から好かれるのを怖がっているとか、好かれないようにしている、というのはつまり、夫の方から私へ踏み込ませるのをずっとさせていない状態ということなのかなとも思った。だから、夫はずっと待っている。私が夫の方へ来るのを待っている。私が夫を引き入れるのを待っている――とか。
カズオ・イシグロが小説の中で、心を部屋にたとえていて、人は家で、部屋がたくさんあるという(趣旨の)ことを言っていた。
私の中にまだ夫を招いていない部屋があって、夫はそこを訪れることをずっと待っているのではないか。花束の準備でもしながら――という気になった。
これは幾分私の物語思考が働いているからで、実際夫に話を聞いてみたら、「そんなことは君のイメージであって、僕とは関係ないことだ」と言うかもしれない。
まあこのイメージもふと思いついたことだから。