こちらは、アドベントカレンダー2024”Celebrate"の第7日目の記事です。
昨日は、退職をするとは祝福をされる人間になるということだ、ということを書きました。
今日は運命について書いてみようと思います。
今月の課題図書の序章を読んでいて気が付いたこと
アドベントカレンダーを書いている期間は、「読んだ」についてはアップをしないという宣言をしましたが、”Celebrate"にまつわる本について読み、感想を書こうとは思っていて、それが今月の課題図書である『幸運を探すフィリピンの移民たち:冒険・犠牲・祝福の民族誌』(細田尚美/明石書店)です。この民族誌のキーワードは「サパララン」という言葉です。フィリピンの人の多くは自分の運命がPalad(手のひら)に書かれていると信じ、その書かれた運命に働きかけることを「サパラランする」(makipagsapalaran)と言うのだそうです。手のひらに運命が書かれている、という考え方が面白いなぁ、と思い、「手のひらか~」などと思っていたら、日本にもそういう考え方をするものがあると思いあたりました。
偶然の手相占い
街に行くと、占いコーナーを見つけて、そこで手相をみてくれる方(占い師)がいました。占いと言っても、あまり悩みらしい悩みがないので、「自分のパーソナリティとか、そういうことを知りたいです」と言いました。
そうするとその占い師さんは左手が宿命、右手が未来を表すのだ、と言って、手相をみながら、「この相がある人は過去に心の調子を崩したことがある」とか、「子どもが一人か二人生まれる」とかを話してもらいました。
あとになって、サパパランのことを思い出し、フィリピンの人は自分の手のひらにあること(運命や宿命や行く末)を変えるために行動をするのかぁ、などと思いました。
私は運命を変えるとか、運命に抗うというよりも、その手のひらに書かれている運命をどれだけ実現するかということにかかりそうです。(占い師は悪いことはあまり言わなかったので……)*1
運命というのものは、人によってCelebrateかどうかわかれるものなのでしょうか。ある人にとっては祝福で、ある人にとっては艱難辛苦ということがあるのでしょうか。でも出産というのはCelebrateなものなのだ、いやおうなしにCelebrateなのだ、ということを以前書きました。
とすると、運命に抗うというのは、ある程度自分のCelebrateに対して、何か足りないものを補うとか、自分の定め(手のひら)とされているものから別のアプローチをし、それを成功させるための努力をするということになりそうです。
とすると、Celebrateというのは、誰か(何か、あるいは神などの大きなもの)によって分配されているものということも考えられます。たとえば、誰か(何か/神)によってあなたにはこういう祝福を贈ります、というような。
でも、確かに、何かを贈られる、それをいただくということは、自分の意図しないところによるのかもれしれません。
ですが、いただいたからには何かの祝福が含まれているはずなのです。それに抗して成功を探すと言うのも一つの道だとは思いますが、祝福に導かれていくのも一つのあり方なのではないかと思います。
これは手相占いに従って手相の示すように生きるというほど簡単なことではなく、てのひらにあること、その運命が示すものの中に祝福があるはずで、その祝福という鉱脈なようなものをたどることで、辿り着くまた一つの祝福があるのではないか、という考え方です。
性善説と言えば、そうなのかもしれませんが、そもそも祝福というのひは、「良いことも悪いことも打ち上げる」、性善説のような立場に立っていると思いました。
運命というのは一つの祝福のもとにあるものなのではないか、祝福には、それにいたるまでの道のりが必要で、それは鉱脈のようなものだと思う、というお話でした。*2
今日のCelebrateに関する考えは、課題図書を通じてもっと深めて考えていきたいところです。