この記事はアドベントカレンダー”Celebrate"第5日目の記事です。
昨日は出産祝いを贈った話を書きました。そこで今日は、私たちが「お祝いとしていただいたもの」の話をします。
私たちがお祝いとしていただいたもの:ティーポット
そういえば自分は合格祝いに何かをもらった経験が、う~ん、なかったような、気がする、と思った。ことごとく第一志望の学校や就職先に落ちてきたためだ。中学受験、ばつ。高校受験、進路切り替え。大学、すごく嬉しかったけど第二志望のためしばしやはり今持っている良さに目を向けられなかった。就職先、ばつ。ということで、合格祝いというものは大学院に進学するということが決まってはじめてもらった。イギリスのある土地の泥でしかつくられないというティーポットである。艶があり、丸みがあり、かわいらしいティーポットである。なんと、メーカーの廃業によって生産が終了し、在庫限りとなっているということで、貴重なティーポットなのである。しかもたっぷり4カップ淹れることができる。このティーポットに入れるとほんのりとあたたかく、美味しい。これを贈ってくださったのはパートナーのお母さまでとても感謝している。
クリスマスマーケットでトムテ人形をお迎えした
昨日はいいような悪いような(つまりとてもFairでFoulな)日だった。
良いことは、お菓子パーティーができたこと、悪いことはあんまりやりたいことが進められなかったこと。その他に、パートナーと「衛生観念」のことで衝突があったこと、良いことはそれによって、「衛生観念」をどうにかすべく私の考察が始まったこと、そもそも「衛生観念」なるものは「FairでFoul、FoulでFairなこと」*1昨日はお金を使いすぎてしまったが、その分良いお買い物ができたこと。
そんな日に家に新たに来てくれたのが、トムテ人形の『ジェラート』と『ソルベ』である。
トムテ人形は最近、日本にも流行しているらしい(?) スウェーデンなど北欧の民謡に登場する農家の守り神であった古い妖精の人形である。トムテは家族に幸運をもたらし、仕事を助けてくれるという。『ジェラート』という名前をつけたもの赤い帽子をかぶっていて、『ソルベ』と名付けたものはグレーの帽子をかぶっている。
名前をつけたからこの子たちにはもう不思議な力が宿っている。
「衛生観念」について喧嘩をした後だったが、ジェラートとソルベがお家に来てくれたことを思い出し、ベッドに眠る前に彼らのことを思い出して、なんだか胸があたたかくなった。彼らが私たちのことを見ている、と思ったら、一生懸命お家をきれいにしようと思う。
プリンターちゃん
贈り物枠かどうかわからないが、最後にプリンターちゃんを紹介する。
プリンターちゃんは4月にお家に来てくれたが、何かと(書類や論文を)出す私の家では大活躍をしてくれている。大学院に合格できたのも、この子が頑張って私のつくった過去のレポートや卒業論文を印刷してくれたためである。*2
最近も自作の入籍報告を一生懸命刷ってくれている。
プリンターちゃんも来てくれてありがとう! 嬉しい!
祝福をもたらしてくれる品々
最後に、祝福をもたらしてくれる品々について考えたいと思う。今挙げた3つのアイテムは、三枚のお札よろしく、我々を危機から救ってくれるだろう、ということがわかる。
ティーポットは私たちが結婚生活をしていったり、修学をする上で、リビングテーブルのそばで支えになるだろうし、ジェラートとソルベがいてくれるおかげで、長い冬の生活にも張り合いが出て、お家のことをもっとよくしようと思えるものである。プリンターは私の書いたものやつくったものを印字してくれるだろう。そこにあるその品自体が祝福の品だけれど、祝福というのは一時的なものではない、とこれらのアイテムのことを考えていて思った。
祝福された品物の効果は一時的ではない。ケアをする必要がある。
小学生の時にアンドリュー・ラングの童話集(民謡集)を読んでいて思ったのは、魔法の道具というのは、効果を発揮するためには、長いことよい心で接する必要があるということである。
ぱっと思い出すと、萱野茂の編んだアイヌの民話集に、道具と思っているものには神が宿る、という話があった。だから道具というのは私たちの生活を豊かにしてくれるし、そのケアをすればするほど、私たちの生活をもっと豊かにしてくれるのだ、ということが書いてあった。
この祝福されたアイテムは洗ったり、掃除をしたり、感謝をしたりして、乱雑に扱ってはいけないものたちである。物に心がある、ということを忘れがちだったし、実際最近私も忘れていたのだけど、私が気にかかっていることというのは、心というものがどんなものにも宿っている、ということだったのではないかという気がした。
これは、『小川洋子のつくり方』(田畑書店編集部 編)にも載っていたことであった。最後に引用する。ブリュッセルのニュースマガジンで、小川洋子についてこのような記事がある。
神道信仰を通じて、日本人はなんにでも魂が宿るというアニミズム的な信仰をはぐくんできた。ものに宿る魂も生命をもたらす力で、人間の魂に似たものと捉えられる。
(略)刺繍の入ったハンカチ、秘密の箱、紙飛行機――小川洋子は、物体の放つ秘密のメッセージを捉えることができるようだ。*3
読み進めていくうちで、「これはまさに昨日の喧嘩だなあ」と思ったことは、次のことである。
たいてい人間同士、まあ家族でもなんでも、うまくいかなくなる原因は、言わなくてもいいことを言ってしまったっていう場合が多いと思うんですけれど、とにかく言葉で相手をわからせよう、自分をわかってもらおうとする。しかし言葉を戦わせていると、ほんとうに伝えたい最も本質的なことは伝わらない。その点、賢明な動物は進化の途中で潔く言葉を喋らない方向を選んだ。*4
建築の言葉で、「神は細部に宿る」という言葉があるらしい。祝福として家に来てくれたアイテムには(たとえそれがプリンターのような無機的な機械であっても)神の宿るものなんだと思う。
パートナーはもっと豊かな生活がしたい、肌触りのよいタオルで身体を拭きたい、
というようなことを言う。その言葉を受けて、すぐに私が何か行動の面で変えられるかというとそういうわけでもないと思うけれど、私の大切にしたいものと、パートナーの大切にしたいものにはそんなに違いがないはずである。
だから私は埃を払ったり、鏡を磨いたり、ものを洗ったり、あるいは何かを捨てたり、整理したり、まとめたり、するのだと思った。祝福されたアイテムは魔力を持つと思って、私は心からそのアイテムのことを思うのだった。