カズオ・イシグロは大学生の時に『わたしを離さないで』を読み、去年(2022年)に『日の名残り』を読んだ。
『クララとおひさま』は読んだ二つを足して二で割ったところがあるな~とちょっと思っていたけれど、読後には寂しさというものはあまりなくて、一つの映画を観たような感じだった。
Aritifcial Friends(AF)が人間を超えることはない、という立場で私は読み進めていたから、最後の展開にとてもびっくりした。同時に、AFが信仰心のようなものを持ち合わせていて、そのような「願い」が人を人たらしめているのではないか、と思わせるストーリーだったのも、単にAFが人を支える話になっていたわけではないことにつながっていてよかった。
私は中学生の頃に『アルジャーノンに花束を』を読んだりして悲しい気持ちになったり、高校生の頃に『猫を抱いてゾウと泳ぐ』を読んだりして悲しい気持ちになったりしていたのですが、今回はラストが(ちょっと寂しいけど)明るい感じがしてよかった。*1
いくつか印象的だったところがあるので引用しておく。
「じゃ、ちょっとほかのことも聞こう。これはどうだ。君は人の心というものがあると思うか。もちろん、単なる心臓のことじゃないぞ。詩的な意味での『人の心』だ。そんなものがあると思うか。人間一人一人を特別な個人にしている何かがあると思うか。仮にだ、仮にあるとしたら、ジョジーを正しく学習するためには、単に行動の癖のような表面的なことだけじゃなくて、ジョジーの奥深い内部にある何かも学ばないといけないだろう。ジョジーの心を学ぶ必要があるとは思わないか」((((p.345))))
人の心をよく学習する人工知能、が仮にあったとして、私たちのものの考え方や感じ方の心のクセや成長は、その人工知能からしたらどのように映るだろうか。
興味深い問いである。
このような問いだけでなく、リックとジョジーの間にある「愛」というものをクララは彼女の内部ではどのように観察をしていたか、という視点も興味深かった。
リックの好きなセリフはこちら。
「ジョジーとぼくは、これから世の中に出てたがいに会えなくなったとしても、あるレベルでは――深いレベルでは――つねに一緒ということさ。ジョジーの思いは代弁できないが、ぼく自身は、きっといつもジョジーみたいな誰かを探し続けると思う。少なくとも、ぼくがかつて知っていたジョジーみたいな人をね」*2
読み進めながら、小川洋子の『博士の愛した数式』なども、ちょっとカズオ・イシグロの作風に似ているのではないかと思った。
愛というもの――その壊れやすさ、変わらなかったり変わったりするもの、それでいてある時には永遠となるもの――について、丁寧に描かれている作品が好きである。
『クララとお日さま』はAFは人か、とか人を超える人工知能はありえるか? といった話を抜きにしても楽しめる作品だと思った。
ちなみに、この作品が原文でも読めると知ってさっそく購入した。
英文でも読めるようになりたい。