人気店なのだと言ううどん屋さんできつねうどんを食べた後、サンダルが壊れていたので新しい靴を買って、電車を乗り継ぎ中之島まで行った。
「はてなブログ」の企画で夏休みにやりたいこと、に「①大原三千院に行く」と「② 中之島美術館で醍醐寺展をみる」があったわけだけれど、念願が叶い、醍醐寺国宝展に行くことができたわけだ。
すごくよい展覧会だった。
私はあまり仏教美術というものに詳しくないし、そもそも仏教に詳しくない。だけど三千院の国宝・阿弥陀三尊像の、特に阿弥陀如来像をみていたら、仏教に帰依していく人たちの気持ちがわかるような気がした。東アジアの島国の京ではこの仏のために参る人が数えきれないくらい多くいただろう、とその時思った。
館内は静かで、空調も効いており、時々休憩スペースがあった。また、仏像について、少し離れた位置で鑑賞できるようになっており、導線が一か所に固まらないようになっていた点でも、展示をする人に配慮がなされた展示会だと思った。
仏教美術や仏教のことが全然わからなくても、心が洗われるような展示会だった。
大威徳明王像などは9世紀末から残っている像なのだそうである。お顔も水牛も神々しく、愛らしさもあって、こういうものが千年以上も前から残っているってすごいことだなぁと思った。
金剛三角五輪塔などは、現代アート? のようなもので、三角や丸、四角を組み合わせたものだった。『君たちはどう生きるか』に映画で積み木が出てきていたけれど、単純な形で世界を表すという発想はずっと昔からあるらしい。
密教では問を立てる人、答える人、答えを審議する人、という学問の場でもあったようで、醍醐寺は仏教を学問として究めていくお寺でもあったそうである。
最後に、展覧会でずっと好きで見てしまったのは、山口雪渓の『桜図屏風』であった。
仏像を見ながら、仏像を好きになるということ、ずっとずっと後のことだと思っていたし、仏教ってあんまり興味を持てないんだよな~などと思っていたけれど、私とパートナーが家族になって、家族同士のやり取りをする時の冠婚葬祭の時に、どうしてもお葬式などには関わってくるものであって、結構その選択肢を多くの人がとっていると思うと、日本に伝わる仏教というものの哲学は無視できないものがあるなと思った。
どうしても若い頃はフランス哲学やドイツ哲学をカッコいいと思ってしまうものだけれど、仏について、もっとちゃんと考えてみたい。