大学生の時に『8人の女たち』とか『未来よこんにちは』とか『ELLE』とかをみて、イザベル・ユペールが好きになった。
彼女がいつか日本に来たら一度目にしてみたいと思っていて、その日が偶然と幸運によってついに来たのだった。
新国立劇場(東京・初台)でテネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』を上演するという。
『ガラスの動物園』は、子どもの将来について心配するアマンダ、内向的な世界にこもる姉・ローラ、語り手でありローラの弟であるトム、トムの同僚であり、ローラの憧れでもあったジムの4人が登場する。
イザベル・ユペールは身振り手振りでまくしたて、手の角度やまばたきさえも(おそらく経験によって)ごく自然に計算された演技をしていた。
演劇が終わったあとのトークショーで「フランス語版の訳が素晴らしい」と言っていた。彼女の言葉から、身体表現と発話と言語理解の深みによって成り立つものが演技をするということなのではないかという感想を持った。
字幕で大まかな内容は理解できたが、もちろん俳優のそれとはずれる場面があったので、大学時代にもっとフランス語を勉強しておけばもっと理解が深まったのにと思った。
戯曲としてもよく練られている――インタビューでユニバーサルな内容という言葉が用いられたが――演目だなと思った。
特に、内向的なローラが自分の宝物のガラスのコレクションを出して自分のことを話したあとに、ジムが「それはコンプレックスだよ」と言って、「自分を優れていると思うことだ」と言う時に、私もローラと同じように少し心が傾いた。
―そうなのかもしれない、私も何か優れているところがあるはず――
結局のところ、ジムは婚約者のある人間で、ローラの救いにはならない。
トムも最後には家を出てしまう。
不思議だけれど、イザベル・ユペールの演技を観ると、アマンダという人間が神経質とよりも強気で、どこかかわいらしさのみえる母親にみえてしまう。
それにトムは生活に嫌気がさしているような筋書きだが、アマンダは頼りさえすれどトムのことを支配しているわけではない。南部暮らしにノスタルジーを感じているようだが現実志向だし精神的に自立した女性に見える。
私はローラに共感するし、引き寄せられてしまうけれど、観劇したあと、「女性は強く生きなければならない」と思った。
(ブログを書くためにプログラムを開いたら、演出家のイヴォ・ヴァン・ホーヴェはアマンダを『イザベル・ユペールと会話するとき、私はいつもアマンダのことを、とてつもなく大きな回復力を持っている女性として話しました。アマンダは立ち上がります、たとえノックアウトされたあとでも。彼女は灰から蘇る不死鳥なのです』(p.17)と表現している)。