私は未来よりも過去のことを考えることが多い。
今まで生きていたことについてもそうだし、そこから何が言えるのかとか、どうしてそうなったのか、についてもやもやとすることを言語化するようにしている。
「信頼できない語り手」についてのwikiを昔読んでいた時に、『日の名残り』のスティーブンスが挙げられていて、興味を持ったまま数年が経ってしまった。
ところが最近、清澄白河の古本屋でそれを見つけ、買って読んでみることにした。
この本はかつて一緒に働いていた女中頭に会いに旅行をしながら、過去の記憶を読者に語る小説である。
父親のこと、仕えていた前の主人のこと、女中頭との会話を思い出しつつ、現在泊まっている場所でのやりとりなどを挟みながら物語は進行する。
だが、これはあくまでもスティーブンスの視点から見た過去の話で、読者はどうやらスティーブンスの話はやや美化されている点が多くあることに気づく。
読み終えて、「ナチに協力した英国人の伯爵はほんとうにいたのか?」「彼の描くイギリスはどのような貴族文化が残っていたのか」など、背景の方が気になってしまった。
けれどもスティーブンスを「信頼できない語り手」という一面として捉えてしまうなら、この物語の魅力は半減する。
どちらかというと、スティーブンスが感情をなるべく排して語ろうとしているのに、実は会話などからにじみ出る感情の表出を描いていることに注目した方が、最後の桟橋のシーンで彼が抱いた感情に共感できるのではないかと思った。
その感情とは誰しもがいだく、「過ぎてしまった日」の懐かしさであり、またその懐かしさに支えられて未来を生きようとする決意の気持ちである。
それにしても一人称の視点から、別の物語を展開したり、他の人物によって語り手を描写していく書き方は見事だ。
こんな小説を私も書きたい。