はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

お叱りエッグノック

パートナーが連日飲み会である。

ことに、今日は遅く、こちらから連絡しても一向に電話に出ず、メッセージも寄こさず、ということで、昼間に日射病になっていた私は機嫌を悪くしていた。

 

これを書いている今も、パートナーは帰宅していない。先ほど連絡があったけれど、「弁明は帰宅してからさせていただきますので」ということなので、暇な私はエッグノックをつくって帰りを待つこととした。

 

作り方は簡単で、卵を溶いて、砂糖を混ぜ、牛乳を入れてボウルでかき混ぜる。かき混ぜたものに、ウイスキーやブランデーを入れて、火にかけ、ゆっくりとろみがつくまで混ぜる。シナモンやナツメグを振りまいて、完成。

 

ちょっとあたためすぎて、茶わん蒸しのような食感になってしまったが、これがはじめてつくるエッグノック。ゆるしてほしい。

 

本来はハロウィンや感謝祭など寒い時期に北米で出回りはじめる飲み物のようだけれども、あたたかい飲み物を欲していて、家にはココアなどがなかったため、エッグノックをつくることとした次第である。

 

鍋を火にかけて、木べらで混ぜている様子はさながら魔女にでもなった気分。

 

エッグノックを作り終え、待つこと45分。

 

ようやくパートナーが帰宅をしたようです。

 

パートナーの謝罪に対し、「表をあげい」と声をかけ、つくったエッグノックを勧めます。一口飲んだ後、

「美味しい」と言い、

「着替えてきていいですか」

と確認を取った後、寝室へ行きました。

 

私はエッグノックはすでに飲み終わり、ホットミルクに切り替えているのですが、23時過ぎに帰ってくるというのは何事かお話を聞かずにはすみません。

 

ということで!

本日つくった夜の飲み物は「お叱りエッグノック」でした。

 

読んだ:『悲しき熱帯Ⅰ』

レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯Ⅰ』を読み終えた。

愛媛に向かう飛行機の中で読み始めたのだが、なんだかんだで読み終わるのに一ヵ月ほどかかってしまった。

 

植民地主義の根付く時代に、ブラジルに行ったレヴィ=ストロースの紀行文。

 

なんというか、ブラジルへ渡った時の文章もみずみずしく、そこで書かれている風景もまた美しいもので、たまに当時の世界の皮肉めいたコメントなども残していて、読んでいてすごく面白かった。(読んだことないけど)沢木耕太郎の『深夜特急』などが好きな人は、この、『悲しき熱帯』も好きだと思ってくれるのではないか。

 

南米には行ったことがないのだけど、ブラジルってどんなところなんだろう、と思いを馳せずにはいられなかった。

 

この本もまた、インゴルドの本と同じように、繰り返し読んでいくのだろうと思う。

 

情景を表す言葉が圧倒的に美しくて、人類学者の目を通してしか書かれなかった本であるようにも感じる。

 

読んだ:『応答、しつづけよ。』

ティム・インゴルドのエッセイを読み終えた。

読みながら、いくつかの章は、『オラファー・エリアソン展』のアートと解説を読んでいるみたいだったなぁ、と思った。オラファー・エリアソンにも風に吹きつけて描いた絵があったり、石をつくって空中に浮かんでいるオブジェがあったりするのだけど、普段の世界を取り巻くものたち(線、手紙、森、火、石、桟橋など)を言葉にして、そのものの歴史や広がっていく意味について書いてあるエッセイだったので、これまで読んできた「エッセイ」とは全然違うタイプのエッセイだなと思った。

私は、「北カレリアのあるところで……」と「幸運の諸元素」が好きです。

 

インゴルドの文体が独特なのか、文体それひとつとってみても、言葉の運びとして面白かった。村上春樹の文章を読んでいるみたいに、何かちょっと慣れなさを感じるのだけど、一つには展開している世界が『オラファー』のように、人工物と自然とアートというところからスタートしているから、身近にあったものについての目線の広がり方が珍しかったからかもしれない。

 

今、ここにフィンランド製のマグカップマリメッコとアラビア)があるのだけど、こういう、北欧デザインの美しさのようなものが文体から出ている。

書いていて行き詰ったりしたときに、こういう物に触れることはよいことなのかもしれない。

 

インゴルドがフィンランドに住んでいることから、私も北海道にいる間に、自然というものをよく観察しておきたいと思うようになった。人が行ってもいい森や、キャンプをしたりすることで、また動物たちと触れ合ってみることで、これまでに自分が出会わなかった新しい概念・言葉たちと出会えるかもしれないという可能性を見つけた。

 

函館行の車窓で読んだり、家で読んだりしたのだけれど、旅の途中に読むのにちょうどいい本なのかな、とも思った。

読んだ:『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』

講談社現代新書で、スピノザについての新書があったので読んでみたが、スピノザの哲学がどういうことなのか、というの、結局よくわからなかった……。

自分にはある傾向がそなわっていて、その組み合わせによって、世界への方向付けがなされるというのは「(実体験として)わかる……!」と思ったが、スピノザをもっとよく理解するためには、同じ國分さんでも、岩波新書の方の『スピノザ』を読んだ方がいいのかな……などとも思った。

単に哲学の入り方がわかっていないだけかもしれない。

 

重要な他者への過程:捕食・婚姻・交換

今日は大学の授業の聴講に行っていました。「語ること」「語られないこと」の間、「沈黙」と「証言」に関するお話と、セクシュアリティのお話を聞いてきて、家に帰宅して本を読むと、『捕食』という項目が出てきました。

 

”すなわち、アマゾニア的捕食とは、自らを規定するのに不可欠である他性そのものとの関係性であり、他者なき世界を志向することはない。”*1

 

結婚することが決まり、式場などを探し、結納をするかしないかで迷い、入籍と挙式までにやることリストなどをリストアップしているのですが、『はじめての構造主義』や『クラバート』で読んだように、「婚姻」とは何を意味するのか、ということを考えていました。

 

同時に、自分の苗字が変わるということや、パートナーその人と一生を誓うということがどういうことであるか、自分というものはなくなってしまうのか、などについて不安もまじりつつ、私自身はおめでたい気持ちになっていました。

 

なぜこんなにおめでたい気持ちでいるんだろう。

 

なんといってもいろんな人が(時に観客としてその場に居合わせてくれただけの人が)おめでとうございます、と言ってくれます。

 

となると、存在の認知が今まで一人と一人だけであったのが、そこにいる二人(たとえ姿は見えなくてももう一人)に対しても行われるようになり、私とパートナーはあらゆる関係性の人たちから「二人」として認識されるようになったのです。

 

「婚姻」とは、ただ一人で接続していた世界から、二人で世界に接続すること、その基盤を二人でつくること、この基盤というものが、歴史的に多くの人たち同士で行われていたことなのだとわかり、私とパートナーも、その大きな環の中に迎えてもらったような気持ちです。

 

私とパートナーはもともと他人で、それぞれ違う場所で育ちました。一緒にエチオピア料理を食べて、日本酒を飲み、映画を観て、旅行に行き、喧嘩もして、仲直りして、一緒の家に住むことになり、相手が病気の時はもう一方を看病し、自分が病気の時は相手に看病をしてもらい、友人夫妻が訪ねてくれ、徐々に徐々に相手の大切だと思っている者が自分の大切なものにもなっていったなぁ、と感じます。

 

私たちはお互いを「捕食」しあっているのだろうか? と引用した一文を見て思いました。確かにそれはアマゾニア的捕食なのだろうな、とも思いました。

 

「あなた」の反応をさぐり、「あなた」の話したことについて「私」が答える。「私」の反応を「あなた」はさぐり、「私」の話したことについて、「あなた」が答える。

 

私たちはお互い応答し続け、お互いの一部を交換しあってきました。

 

でもまだお互いの人生をプレゼントしあう、というのは過程です。

今日も一緒に美味しいご飯とお酒を味わおうね!

 

かようにして、このように今日もメッセージが流されるのでした。

*1:『Lexicon 現代人類学』、奥野克巳・石倉敏明編著、以文社、2018年、p.86

函館

函館に旅行に行ってきた。

特急に揺られて時々ティム・インゴルドの『応答、しつづけよ。』を読みながら、海を眺めたり森を眺めたりして行く。

 

降りたのはJR五稜郭駅だった。駅の近くのパン屋さんで「すきやきパン」を食べる。お肉と白滝が入ったお総菜パンなのにこんなに美味しいなんて! と感動した。ポテトサンドも完食。

 

駅の反対側に行き、『くまざわ書店』で函館のガイドブックと、津村記久子さんの小説を買った。

 

お店を出た頃にパートナーから連絡があって、函館空港に着いたという。

五稜郭タワーで待ち合わせすることとした。

 

JR五稜郭駅から五稜郭タワーまでは歩いて30分くらいだった。

 

五稜郭タワーの中では、『名探偵コナン』の映画のポスター(登場する怪盗キッドの予告状)があった。『名探偵コナン』の映画は実は先月パートナーと一緒に観に行ったのだが、『RRR』みたいに次にどんな展開があるのかわからない! という感じで面白く観た。

 

『コナン』の今作で函館が取り上げられていたこともあり、函館にはいたるところにコナンの映画のポスターが貼ってあった。「コナンは地方創生に貢献しているね」「僕もそれ思った」などと待ち合わせに着いたパートナーと話した。

 

タワーで上がって五稜郭の写真を撮り、箱館奉行所跡にも行った。

桜は散りかけていたけれども、お花見をしている人がちらほら見受けられた。

 

函館という場所が思い出の場所になるとは想像もつかなかったが、函館の人たちはやさしかった。料理をいただいたところでは、「一日の観光とのことですが、楽しんでいってくださいね」という言葉をいただき、観光協会の人に「かわいらしいですね」と言ってもらった。

 

ハリストス正教会も見ることができて、函館旧公会堂でドレスを着ることができ……パン屋さんでパンを買って、ロシア雑貨のお店でウクライナの卵をお土産に買った。

 

函館山にもロープウェイに乗って行って、ほんとうに夏の隅田川花火大会と同じくらいの人がいたけれど、それぞれに夜景を眺め、話していた。

 

どこも観光客で賑わっていたけれど、きっとその人たちの数だけ思い出が残るんだろうな、という気がした。

 

帰る前に駅の近くのお寿司屋さんでちびちびビールを飲みながらお寿司をいただいた。

 

ほっき貝、赤貝、ほたて、うに、ひらめ、かんぱち、などなど……。

 

カウンターで食べることのできるお寿司屋さんがふつーにある、というのが、なんというか函館の町の生活というものがわかる気がした。ちなみにこの日は「こどもの日」でお寿司の注文が多かったらしい。

 

書きながらコナンくんの映画の主題歌のサビを思い出していた。

結局、この身にあるのは自分のことなのだ。一心同体、ということを生身の人間でやるのは難しい。それが良いこととも一概には言えない。

 

函館という街は、本当に夜景が美しくて、海が近くてその景色を眺めるのも面白く、教会がいくつかあるので異国情緒もある。なんだか人間の美しくてさわれない部分を引き出す力がこの街にはあるような気がした。

メルボルンからやってきました

高校生の時、10日間ホームステイができるということで、オーストラリア、ビクトリア州ジーロングというところに行った。

成田空港行のバスで号泣して、「家族と離れて外国に行くなんて……」と思ったけど、成田に着いた頃にはケロッとして、「日本国外に行くなんて楽しみ~!!」と思った。

 

東南アジアのどこか(シンガポールかマレーシア)を経由して、長いフライトに乗る。

 

きっと空港に降りたこととか、そこから見える街並みや、なんとなくホストファミリーと片言で話したことなど、思い出はいっぱいあるはずなのだが、一つ私が覚えているのは景色、である。

 

雨がさっと降っては乾いた空気の中で晴れるので虹がさっと出る。時には二重の虹が見える。この地域では虹は珍しいことではないのだと、説明してくれた日本人の大学生のお兄さんが言った。

 

街並みは教会や学校があって、広いお家があって、それこそやっぱり映画とかに出てくるような街なのだけれど、街のはずれにくると、乾いた土が見えて、樹々も街に植わっている者とは違って、野趣じみていて、そういうのをみると「はー、私はオーストラリアに来たんだなぁ」と思った。

 

一応現地の学校に通うというプログラムもあったのだけれど、高校の授業で英会話のようなものがほとんどなかったのもあって、なんの勉強をしたのかわからなかった。好きな映画はなんですか、と訊かれて「あれ、最近見た映画の……、なんていうのだっけ、プラダの……」と言ったらすかさずアテンダントの女性が「The Devil Wears Prada」と言って、「私もあの映画大好き」と笑ってくれた。

 

学校のプログラムで、現地の子と話す機会があったのだけれど、日本のアニメオタクだという女の子が、一生懸命コミュニケーションをとってくれようと話しかけてくれて、「こういうアニメ知ってる?」とか、日本語を書いたりしてくれて嬉しかった。「あとでメールでやりとりをしようね」とお互い言って、メールアドレスを交換したのだが、届かなかった。

外国に行って出会った人とアドレスを交換する、というひとつのやさしくてかなしい現象を複数回通じて、あの時出会った人は、もう出会うことのない人たちなんだ、ということを私は知っていく。人とどうやってつながっていくかということ、わからないなぁと後にも先にも思う。

 

水曜日には、郊外の動物園に行くことになった。その日は雨の日で、心なしか動物園は空いていたようだけれど、眠っていたコアラとか、ウォンバットとかに触ったりすることができた。ウォンバットはすごく硬い毛の持ち主だったような気がする。この頃はよく知らなかったけど、オーストラリアというのは野生動物と共存しているようなところらしかった。

 

金曜日にはアボリジニについて説明を受けた。マンガで先住民族アボリジニについては読んだことがあったから、木の刀に彫られた模様などをみて「はー、これがアボリジニの持つ文化、なのですな。ところで、先住民族というと、木に彫ってある模様とか、自然を大事にする人たちだったのですと言われるのはなぜ?」などと思っていたような気がする。私たちも木でつくる小型の何かを工作して、「なんとかセンター」敷地内の芝生というか森というかのところでそれを飛ばして遊んだ。

 

最終日にメルボルンに行った。

協調性があんまりなかったのと、日本人同士固まって行動してもあまりいいことがないような気がしたので、一人で駅周辺を散策した。

 

メルボルン駅、すごく美しい建物だったので、写真に撮ってにこにこしてしまった。

 

お土産屋さんに入ると、白人の若い男性は「なんでこんなところにアジア人の子どもがいるんだ」という風に固まっていたので、もっとフレンドリーそうなお土産屋さんに行き、いかにも土産物を売っていそうなおばちゃんと話した。「どこから来たの?」「日本です。妹にあげるお土産を探しているんです」「そうなのね! 素敵だわ!」といった会話をした。

 

いつかまたメルボルンに行って、リベンジするのだ! と一人心の中でつぶやいた。

 

ちなみに付け加えると、この頃持って行っていた本はジョルジュ・サンドの『愛の妖精』(岩波文庫)で、大学生になってとったフランス文学史の授業で課題図書の一つになっていた。『愛の妖精』に感動したのは高校生の時、ホームステイ先のお家のファンシーなベッドだったなー、なんて思った。