高校生の時、10日間ホームステイができるということで、オーストラリア、ビクトリア州のジーロングというところに行った。
成田空港行のバスで号泣して、「家族と離れて外国に行くなんて……」と思ったけど、成田に着いた頃にはケロッとして、「日本国外に行くなんて楽しみ~!!」と思った。
東南アジアのどこか(シンガポールかマレーシア)を経由して、長いフライトに乗る。
きっと空港に降りたこととか、そこから見える街並みや、なんとなくホストファミリーと片言で話したことなど、思い出はいっぱいあるはずなのだが、一つ私が覚えているのは景色、である。
雨がさっと降っては乾いた空気の中で晴れるので虹がさっと出る。時には二重の虹が見える。この地域では虹は珍しいことではないのだと、説明してくれた日本人の大学生のお兄さんが言った。
街並みは教会や学校があって、広いお家があって、それこそやっぱり映画とかに出てくるような街なのだけれど、街のはずれにくると、乾いた土が見えて、樹々も街に植わっている者とは違って、野趣じみていて、そういうのをみると「はー、私はオーストラリアに来たんだなぁ」と思った。
一応現地の学校に通うというプログラムもあったのだけれど、高校の授業で英会話のようなものがほとんどなかったのもあって、なんの勉強をしたのかわからなかった。好きな映画はなんですか、と訊かれて「あれ、最近見た映画の……、なんていうのだっけ、プラダの……」と言ったらすかさずアテンダントの女性が「The Devil Wears Prada」と言って、「私もあの映画大好き」と笑ってくれた。
学校のプログラムで、現地の子と話す機会があったのだけれど、日本のアニメオタクだという女の子が、一生懸命コミュニケーションをとってくれようと話しかけてくれて、「こういうアニメ知ってる?」とか、日本語を書いたりしてくれて嬉しかった。「あとでメールでやりとりをしようね」とお互い言って、メールアドレスを交換したのだが、届かなかった。
外国に行って出会った人とアドレスを交換する、というひとつのやさしくてかなしい現象を複数回通じて、あの時出会った人は、もう出会うことのない人たちなんだ、ということを私は知っていく。人とどうやってつながっていくかということ、わからないなぁと後にも先にも思う。
水曜日には、郊外の動物園に行くことになった。その日は雨の日で、心なしか動物園は空いていたようだけれど、眠っていたコアラとか、ウォンバットとかに触ったりすることができた。ウォンバットはすごく硬い毛の持ち主だったような気がする。この頃はよく知らなかったけど、オーストラリアというのは野生動物と共存しているようなところらしかった。
金曜日にはアボリジニについて説明を受けた。マンガで先住民族のアボリジニについては読んだことがあったから、木の刀に彫られた模様などをみて「はー、これがアボリジニの持つ文化、なのですな。ところで、先住民族というと、木に彫ってある模様とか、自然を大事にする人たちだったのですと言われるのはなぜ?」などと思っていたような気がする。私たちも木でつくる小型の何かを工作して、「なんとかセンター」敷地内の芝生というか森というかのところでそれを飛ばして遊んだ。
最終日にメルボルンに行った。
協調性があんまりなかったのと、日本人同士固まって行動してもあまりいいことがないような気がしたので、一人で駅周辺を散策した。
メルボルン駅、すごく美しい建物だったので、写真に撮ってにこにこしてしまった。
お土産屋さんに入ると、白人の若い男性は「なんでこんなところにアジア人の子どもがいるんだ」という風に固まっていたので、もっとフレンドリーそうなお土産屋さんに行き、いかにも土産物を売っていそうなおばちゃんと話した。「どこから来たの?」「日本です。妹にあげるお土産を探しているんです」「そうなのね! 素敵だわ!」といった会話をした。
いつかまたメルボルンに行って、リベンジするのだ! と一人心の中でつぶやいた。
ちなみに付け加えると、この頃持って行っていた本はジョルジュ・サンドの『愛の妖精』(岩波文庫)で、大学生になってとったフランス文学史の授業で課題図書の一つになっていた。『愛の妖精』に感動したのは高校生の時、ホームステイ先のお家のファンシーなベッドだったなー、なんて思った。