はちみつのdiary

hannyhi8n1から引っ越しました。

嵯峨野に行く。

京都は何回か来ていて、(一人でも来ているし家族とも来ている)、しかし嵯峨野の方には行ったことがなかった。

「今回は天龍寺に行こうと思います」と宣言し、恋人は天龍寺までのアクセスを調べてくれた。

朝ごはんには鶏の丸焼きを食べ、お腹がいっぱいの状態で四条烏丸へと向かった。

恋人は京都に二年間住んでいたので、時折、「このお店によく行った」とか、「教習ではこの道路が難しかった」などと話していた。しかし彼は京都観光というものをしたことがなかったらしく、「天龍寺に行く」と言っても、「何が有名なの?」とのんびりとした返事が返ってくるのみだった。

 

天龍寺と言えば庭園と雲竜図である、と私は言い、私たちは天龍寺へと向かった。

また世界遺産にも登録されているとあって、人がたくさんいた。

人々は大きなお寺の屋根の下で語り合い、庭を眺め、写真を撮り、風を感じていた。

雲竜図は迫力があって、「八方にらみっていうけどほんとうだね」と私が言うと、恋人は「トリックアートみたいに、あの目の部分がへこんでいるとかいう仕組みがあるんじゃないの」などと言って、私を静かにさせた。

実際、トリックアートなのではなく、描かれたものであることがわかると、彼はひとしきり感心した。

このことは後の喧嘩で持ち出される。

 

食事は天龍寺の中にある精進料理屋さんでいただいた。

精進料理というものを、私は食べたことがなかったので、興味本位で入ることにしたのだった。

お豆腐が美味しかったのと、山菜が美味しかった。茄子の焼きみそは美味しくて、グラタンを食べるよりずっとこっちの方が好きかもしれない、と思った。

 

そして私たちは野宮神社に向かった。源氏物語の『賢木』に出てくるらしく、今年源氏物語角田光代版)の読破をしようとしていたのでちょうどよかった。

水占いのおみくじがあまりよくなかったので、ここでもおみくじを引いた。

 

竹林の小径で写真を撮り、線路を越えて、もう一つのお寺へ向かう。

 

ここは観光スポットで取り上げられたりするようなお寺ではなかったのだが、読んでいた小説に名前があったので行くこととした。

このお寺では、筆ペンではあったけど写経体験ができた。

また、近くで仏様の顔を見ることができてよかった。

静かで、風の音や鳥の声に耳を澄まし、心を落ち着けた状態で写経をするのも悪くないなと思った。

というか、写経、ペン字練習としてやってもよさそう……。

 

天龍寺はいろんな人でにぎわっていたけれど、ここは静かでお寺の良さを感じた。

 

清凉寺をまわる前に、参道にピンバッジが売られていた。

ピンバッジを集めることを趣味にしている(らしい)恋人は、金閣寺をあて、

「これも何かの縁だと思って」

金閣寺に行こうと思ったらしい。

 

私は「金閣寺か~」と言い、「金閣寺は池があってね、そのほとりに金閣寺があって、これが金閣寺ね、って感じ」と続けると途端に彼は「あなたとはもう観光したくない」

と言い始め、空気が悪くなった。

そのようにして私たちは黙ったまま電車に乗り、バスに乗り、金閣寺に行くことになったのだった。金閣寺をひとしきり眺め、カメラで写真を撮った彼に、「よき?」と訊くと「楽しくない」という返事が返ってきた。

彼の主張はこうである。

確かに僕も八方にらみという時に、それってトリックアートじゃないの、ほんとうに八方にらんでいるの、と言ったのは悪かった。でもあなたのさっきの一言は観光そのものを否定するような言い方であった。ルーブル美術館モナリザだって行けば「これが

モナリザね」となるかもしれない。でも僕から感想を言う機会を奪うな。

 

……とのことだった。

 

旅行中に喧嘩というのはありがちである。お互い疲れがちだし、ちょっとした一言でカチンときたりする。

ということで、私は彼が一人不機嫌そうに写真を撮るのを眺めていた。

 

金閣寺からのバスはとても混んでいたので、道路沿いに歩き、適当なバスに乗って四条河原まで戻ることにした。

その頃にはお互いまた打ち解け始め、「疲れたねえ」などと言いながら、バスを降り、

藤井のプリンを買ってホテルに戻ることにした。

(「藤井のプリン」は銀閣寺近くの懐石料理のお店が出しているというプリンである。なめらかで濃厚で大変おいしかった)。

 

ホテルに戻って少し寝て、川床の方に出かけた。

夕食を川床で食べる予定だったのである。

 

川床では、お通しに黒毛和牛が出てきてびっくりした。

鯛のお刺身や、鴨のローストや、湯葉などをいただき、鍋をし、最後は雑炊でしめて私は例によって例のごとくビールやら日本酒やらワインやらを飲んだ。

大学生の時、旅行で京都に行った折に川床の大人たちを眺め、「いいなあ。ああいうことができるようになりたいなぁ」と思ったものだが、そういうことをする大人になったのである。

 

帰りにカラオケに行って、酔っ払った状態で好きな歌を30分程度歌った。

 

宿に帰って来て、ああ楽しかったねえ、と私たちは言うのだった。